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水谷孝×湯浅学ファクシミリ交信-1991

先日、根本敬の『特殊まんが-前衛の-道』を買って読んだ。その中に、「裸のラリーズ」の首謀者・水谷孝への貴重なインタビューに成功した湯浅学の話が出てきて、根本敬が引用した一部だけでもグッとくるいい内容だったので、全文が読みたくなった。

レアなインタビューならネットに上がっていそうだな、と思って早速検索してみたが、無いようだった(よく探せばあるのかな)。ますます気になって、そのインタビューが掲載されているという雑誌『MUSIC MAGAZINE』の1991年11月号を買った。エピソードの興味深さはもちろん、水谷孝の言い回しや、言葉の間の取り方もカッコイイなと思い、しびれ、ネットにはいつもいろいろ検索させてもらってるばかりなので、書き写してアップすることにした。
水谷孝×湯浅学ファクシミリ交信-1991_f0159328_2271791.jpg

『裸のラリーズをもっと』というタイトルの6ページに渡る記事。
冒頭2ページは、湯浅学の言葉で、裸のラリーズの音楽性や歴史について、また、水谷孝の発言がこれまでほとんどメディアに登場しなかったこと、音源のリリースの噂は何度もあったが、91年まで現実にはならなかったことなどが書かれている、が、そこは略。

水谷孝とのファクシミリによる「交信」がいよいよ始まる部分から最後まで丸ごと書き写しました。誤字などあったら教えてください。誰かが検索して読んでくれれば嬉しい。

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そして我々は、水谷自身の言葉を得ることができた。現在パリに住む彼と、深夜、ファクシミリで交信した。

9月15日午前3時。こちらから交信開始のしらせを送る。20分後、返信が来た。おそろしく胸が高鳴っていた(以下「 」内は水谷の回答、〔 〕は湯浅注)。
「どの辺までが本題かは定かではないが、時間は余り気にせずに行きましょう。こちらの返答が遅くても、驚かないでくれ給え。さて、それでは」
質問、質問だ。質問を送るのだ。

───20年以上にわたる活動の中で、今回初めて裸のラリーズとして単独でレコードをリリースすることになったのはなぜですか。その動機と切っ掛けを教えてください。また、今回のアルバム収録曲の選定は、どのような基準で行われたのですか。
「長くなる話です。全部話す事は到底不可能という事を予め。
 これは、実にいくつかの具体的な出来事の組み合わせから始まった。一見何の脈絡もない事柄の組み合わせだ。
 2年程前、アイルランドにレコーディングの為、行った。既にあちらでのコンセプトは成されていた。メンバーは元ロンドン・パンクスの連中。色々リハをしたり、音録りをしたが、気に入らなかった。2~3ヶ月やって見切りをつけ、元ジミ・ヘンドリックス〔・エクスペリエンス〕のベーシストだったノエル・レディングと彼の紹介によるドラマー(名は忘れた)と音録りする為、当時彼がいたコークという街へ行った。しかし、これは本当、くだらない話に終わった。当然録音も放棄。
 で、パリに戻り、録った音を如何にするか、いったん日本に帰国。何本か持ち帰ったテープをチェックしている内(アイルランドでは録った音をしっかり聞いている暇もなく次の音録りに移っていた為)、突然、文字通り今度のCDを作ることに決めた。普通の意味での脈絡など無かった。大げさな意図も無かった。こちらの言い方で言えば、一種の花火、或いは火遊び。後の現実作業はすこぶるハードなものになってしまったが。
 この辺りから水谷のHEADにおけるアナログとデジタルの対決が始まる。
 CD作成を決めた時点で、こちらのHEADは既に収録基準は考えずともあった。無論以前から考えていた訳ではなく。但し取り敢えずとしての言葉による基準はオリジナル結成から70年〔代?〕末ベルコモンズでのライヴとした。失われたテープを除いて、この期間のこちらサイド所有のテープは全てチェックしなければ気が収まらなかった。ほぼテープ200~300本(ほとんどが90分ないし120分)全部聞いた。これは素晴らしい期間だった。少々の事では驚かないこちらが、あれほどきついとは思っていなかったので」
 所有テープの全部、時間にして400~500時間、裸のラリーズを聴くとは。体験してみたいのは俺だけではないだろう。
 今回、3タイトルがリリースされたが、実は『'77 Live』(SIXE0400)と同じメンバーによるスタジオ録音作品集も出す計画があったという(これはどうしても、いずれリリースしてほしいものです)。

───これまでにレコードとして作品を発表しなかったのは何故でしょうか。また、今あえて、レコードをリリースしたくなった背景には、現在の一般的(ロックを中心とした)音楽状況に対する不満/不信があるのでは?と想像するのですが。
「現在のロック(ジャズでも何でもいいが)状況と、こちらがCDを出したのとは、あまり関係ないようだ。むしろ内容的な意味合いから言えば、そうかも知れない。しかし今現在もこちらは音録りは続けている訳で、勿論こちらもいかしたバンドが多ければ、当然嬉しい事だが。まあ色々な連中とやってみたが、テクとコピーが殆どというのも事実で、これは白ける。
 〔今回のCD化で〕アナログ音とデジタル音での格闘が始まったのも、君の言うこの辺の事情と関係があるかもしれない。今度のCDは、アナログからデジタル変換の時点でスタジオにこちらも入りっぱなしで、簡単な言い方を使わせて貰うが、まるでいかさないデジタル音を徹底的に壊して源(ママ)音に近づける作業、これはスタジオのエンジニア連中には相当ハードな作業だったが、出来得る限り努力してくれた結果出来た音だ。そのために切り捨てなければいけない部分もあったには違いないが、デジタル音というのは手こずるものの様だ。
 又、話はとぶが、今に限らずレコードは出したい時、出すであろう。今後も含めて(全然出さない事もあり得るが)。
 さあ、もっと続けようじゃないか」

───最近の活動についておたずねします。日本国内でのライヴ活動は休止中ということなのでしょうか。それはなぜですか。現在パリでどのような活動をなさっているのですか。先ほどのノエル・レディングとの録音とはどういう経緯から計画されたものですか。また、そのくだらなさとは?
「移ろわぬもの 甘美なもの
 移ろわずして 尚 甘美なもの
 移ろいやすさの内に見る甘美さより一層厳密な何か
 夜の領域 空間と次元 それから逸脱
 結果としての逸脱 意図されなかった逸脱
 あらかじめ意図された逸脱が成就された時
 逸脱はあらかじめ予定された軌道に
 最早ないであろう」
 この返信を受け取ったとき、すでに開始から6時間余が経っていた。

───なぜ裸のラリーズ結成を思い立ったのですか。さらに、そもそも自らギターを持って音楽をやろうと思った動機とは? それともうひとつ。裸のラリーズ結成当時、精神上または表現上で刺激を受けたり、何らかのかたちで指針/手本とするミュージシャンやバンドがあったのですか。もしあったのなら、それは何ですか。
「当時、水谷は(現在もまあそうだが)友人もしくはお仲間はどちらかと言えばミュージシャンよりも、絵描き、詩人、カメラマンと称する様な連中が大半。モダン・ジャズの店にたむろしていた。こちらがもし何かに影響を受けたとしたなら、彼らとの遊び、会話、その他諸々からである筈だ。それらは常に刺激的であった。また、常に刺激的であるべきだ。そして、ミュージック…。と言う訳で、常にジャズを聞いていた。コルトレーン、アイラー、マイルス、コールマン、よくある平凡な話だ。当然だが彼らのジャズが平凡な訳はない。刺激は受けたであろう…。
 裸のラリーズ、これはロックだ。こちらのロックに手本はなかった。4人揃ったところで文字通り(当然楽器を持って)水谷のエレクトリック・ギターがフィード・バックした瞬間にとるべき方向は決まった。ついでに言っておけば、ギターだけ持っていた訳ではない」
 初めにフィード・バックありき。『'67-'69Studio Et Live』には、そんな裸のラリーズのエレクトリック・ギター衝動というべきものが詰まっている。
 なお特に挙げるなら、このころ、ESP・レーベルから出ていた諸作品は非常に気に入っていたという。

───68~70年の作品を聴くと、個人的には、ジャックスの早川義夫氏の作品に近いエネルギーを感じる瞬間が何度かありました。早川氏に対しては、どのような感想をお持ちでしょうか。
「全然。それ以外言う事思いつかず。君には申し訳ない事ですが。更に続けよう」

───ところで、裸のラリーズの曲には“夜”を歌ったものが多いですが、その理由とは?
「夜、自由、夜の魅惑。当然、夜が好きだからに決まっている。だが、その理由を述べることはできない。こちらごときには許されない事だ。夜に対して、敬意と礼儀は守るべきであるから」

───では、水谷孝にとって“太陽”とは?
「めまい
 能動と受動
 創造力は夜明けの太陽とともに消滅する
 愛すべくは、沈む太陽の真紅の血の色
 それは眼にしみる そして何かが目覚める」
 見せかけの光明の中で、世界はまがいものを量産しつづけている。裸のラリーズにとって、夜とは静止した暗黒ではない。破壊と構築が繰り返しなされる創造のブラック・ホールだ。そこには過去と未来の区別はない。破棄と構築、過去と未来、正と負、相反するものはことごとくフィードバックしあっていくものだ。
 裸のラリーズの音楽は、確実に極点の表現物である。だが、そこには、音楽に限らず、“人は何故表現活動をしつづけようとするのか”といった根本的命題に対する解答への探究心が蠢いていはしないか。それはまさに、観念を乗り越えようとする勇気だ。

───それでは裸のラリーズにとって“勝利”とは?
「名声、名誉、それらどれもくだらないものだ。敗北の中にも勝利はある。こちらにとって勝利も敗北も関係ない。敗北したからと言って、それがなんだ。こちらはすじを通す為に戦い続けるであろう。もし勝利という言葉があるならば、それを意味するであろう」
 我々にとって、裸のラリーズ=水谷孝は、ロックにおける<謎>でありつづける。しかし少なくともこれだけは言える。裸のラリーズのフィードバック音の渦の中には、何ごとか(それはキャッチする者それぞれで違う)に対する<確信>が屹立しているのだ。それは泡のごとき日々を生き続けるための、ひとつの厳密な力の素なのである、と。
 現在、音楽だけではなく、映像も製作しているという。さらに70~80年代かけて撮った、ライヴを中心としたフィルムをなんらかの形でまとめる計画もなきにしもあらず、と聞く。しかし、過去二十数年のように、まったく発表されないかもしれない。

───今回のCDリリースで、これまで名前だけ知っていながらラリーズの音を聴いたことのなかった人々が、改めて裸のラリーズの存在の重要性について考えさせられている、という話をよく耳にします。存在の重要性に改めて思いを馳せるということでは、かねてからライヴに足を運んでいた人々も同様のようですが。そうした新しい体験者、両者それぞれにメッセージを。また、現在、注目している人物はいますか。
「時代は変わっても、こちら(ラリーズでもいい)は変わらない。とどまり、進み続ける。そして両者の間に壁があるとするならば、それも壊してやろうじゃないか。
 〔注目する人物に関して〕現在に限定することは不可能事に近い。注目すべき人々の名を挙げておく。リヴィング・シアターのジュリアン・ベック、マンディアルグ、ジャック・リヴェット、それから君達すべて」

東京-パリ、水谷孝とのファックス・ランデヴーは10時間半にわたった。深夜だった東京は、終わったときには真昼間になっていた。
 それでも、もっともっとラリーズを。
 と、俺は覚醒したまま街に出た。

(おわり)
by chi-midoro | 2009-04-18 02:30 | 音楽
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