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ブラックニッカ日々 2016-7-2

昨日に引き続き暑くてしんどいが、今日は風があるので、窓際に寝転んでいると気持ちよかった。

図書館で借りた滝口悠生の「死んでいない者」を読む。ところどころ鳥肌が立ってなんか色んな感情が沸いてくる。

葬式に集まる何十人もの親戚たちを書いた小説なのだが、一個の建物の中や外で同時に色々なこと(といっても大した事件ではない)が起きたり、ずっと前から繰り返されてきたようないつもの話がまた交わされては消えて行く感じなど、自分が山形の親戚たちと過ごすあの時間の良さがずっと続いていてひたすら最高だ。全編通じてやたら未成年が酒を飲む。大人たちに混じって高校生や小6の子までが飲酒する場面があるのだが、それ一つとったって、それまでうまくやっていてもワンミスしたら集中砲火を浴びて一瞬で引きずり降ろされるような、コロシアムの真ん中で悪戦苦闘している誰かをうすら笑いを浮かべながら不特定多数の群衆が見ているような今の息苦しい世の中の雰囲気とは全然違い、なんか、善悪に回収されない描かれ方になっている。子供が飲酒する場面をこんなにさらっと描けるのはひょっとして小説だけなんじゃないかと思った。ドラマや映画だったら生身の人間が演じるわけで、その子役や監督に何か嫌なイメージがつく、とかリスクが生じたりさ。もしかしたらこれから小説の中だけが唯一の風通しのいい場所になっていくんじゃないだろうか。

まあそれは細かい話だけど、滝口悠生はやはり素晴らしい。保坂和志のように時間や空間を越えて誰かの意志がどこかで響き合うみたいな、世界が自分だけの人生に完結しない豊かさもあるし、笑いもある。可愛げもある。気難しいところがあってプレハブ小屋から出てこずに葬儀に参加しない美之っていう兄と、その妹の知花が携帯電話でやり取りして、「お通夜のふるまいの料理を少し持って来てくれ」と頼まれたりしてそれを妹が幸せの形であるように感じているところとか、いいなあ。故人と幼なじみの「はっちゃん」が普通に突然会話し出すところもいい、四歳だった寛が祖母に預けられ、布団の中で心細くなって泣いてしまい、それを祖母が困ったような悲しいような嬉しいような複雑な顔をしながら撫でたり抱き寄せたりしているところもいい。

つって少しずつメモりながら結局中断せずに読み終えた。後半もすごい良い。時々読み返したい。

前に書いたかもしれないし、書いていてもいいのだが、山形の祖母が亡くなった時に葬式で、老人会の代表という方が弔辞を読んでくれて、その中で「トシ子さんは手先は不器用だったですが、それでも一生懸命折り紙を折っている姿が印象に残っております」と、老人会でのエピソードを語っていたのを聞いて、祖母がそういう会に顔を出していたのも知らなかったのだが、自分が今まで想像したことのなかった祖母の像が与えられたような気がして、当然なのだが、俺が知っている祖母は、俺が見た一面だけで、一緒に暮らしていた俺の母の兄夫婦や、俺なんかより比べものにならないほどたくさんの時間を祖母と過ごしてきたであろう山形の親戚たち、厳しい母親だった祖母を知る俺の母などなど、色々な人が色々な形で祖母の断片を記憶している。

それこそ、祖母が裏の神社へ歩いていく後姿をぼーっと眺めていた偶然そこにいた通行人だとか、神社でたまたま立ち話をした人だとかも祖母の断片を持っていて(もちろんそんなこと忘れているだろうけど)、人以外の、祖母の定番の散歩道に咲いていて、祖母が綺麗だなと感じた花だとか、その横を通った犬とか猫だとか、そういうカケラが人の記憶だとか空間だとかにまだ残っている感じ。拡散していくというか。

何が言いたいのか分からなくなってきたけど、生きているといことはそういう断片を色々な場所に残して、最後は空気に溶けていくように漂って消えていくものだというイメージがあって、この小説を読んでいるとそういうことを思い出した。

原稿ひとつ書く。

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by chi-midoro | 2016-07-03 00:16 | 脱力
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