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ブラックニッカ日々 2016-8-15

福永信「星座から見た地球」を読む。

A、B、C、Dと呼ばれる子どもたちについての掌編が、A⇒B⇒C⇒D⇒A⇒B…と延々繰り返される小説で、ある時のAは小学生ぐらいの男の子、またある時のAは幼稚園児ぐらいの女の子で、という感じで、性別も年齢も固定されておらず、誰でもそのABCDに置き換えられ得るみたいな。それどころか、時にはまだ生まれてない子どもだったり、もうすぐ死を迎えるらしい子どもだったり、犬やチョークや猫だったりするらしくもあり、それぞれのエピソードが響き合うように見えたり、そうでもなかったりして、連関を見出そうとするとすごく疲れるんだけど、どうやら構造的なことは考えずにただただ読んでいくのでじゅうぶんみたいだ。一見バラバラなものが似ていたり、まったく違う人物が近いことをしたり考えていたりするという、そういう繋がりの面白さに焦点があたっていると思う。

ただ俺はそこに登場する子供たちの描かれた方が、大人の思う純粋性みたいな気がして、そんなに入り込めなかった。読んでいてちょっと疲れた。朝から仕事のことでイライラしてたからかもしれない。急いで読むような本じゃないんだ。

天一でラーメン食べてシカクへ。通販作業しながら、今日は色んな人がわっとお店に来て、挨拶したりしゃべったりしたいのだが、そうなると自分が今何をやっていたか忘れてしまうので、割と黙々とやっていた。器用にできるようになりたい。

ここ最近ツイッターをみたらたくさんの人が「シン・ゴジラ」を絶賛している。数日前、酔った勢いで金券ショップで1400円の前売り券を購入しており、調べたら20:15から梅田のステーションシティシネマで上映するというので、シカク終わりに見に行くことにする。そしたらその時間はレイトショー扱いだから1300円で見れるんだそうだ。つまり、100円損した。

ポップコーンのL、500円のを買って食べつつ見る。眠くなったらどうしようと思ったがそんなことなくずっと面白かった。放射能を発しながら東京をバンバン破壊していくゴジラを何かの比喩みたいに感じずに捉えるのは難しい。ゴジラに翻弄される内閣や東京都や自衛隊、対策本部といった様々な組織も、日本の今とか、震災直後とかを連想せずにはいられない風に描かれている(デモ隊が国会前に集まっていて、中ではみんな寝てる、みたいな描写があってそこはイヤミっぽかった)。でもとにかくこの映画の中では組織は壊れかけても再生し、それを構成する一人一人がいつも全力で非常事態に向き合っている。嫌な奴も脱落者も出てこない、前向きな組織だ。それが良いとか悪いとかじゃなく、ポジティブな描き方だと思った。

ゴジラがめっちゃビルとかぶっ壊すので、大勢の人が死んでいることは当然におわされるのだけど、具体的な被害者数が出てこないのは何かへの配慮なのだろうか。「総理、すでに何万人の人が死んでいるんですよ!今すぐ攻撃を」とかいうセリフがありそうでない。

というようなことを思いつつ、ゴジラの直視できないほどの怖い造形にぽかーんと見入ってしまった。もうなんか口の中とかビラビラでヤバい。血の描写もすごかったし、最初の形態の醜さとか、最後の凍結に至るまでのエグいもがき方に庵野監督の意地っつうか性癖というか、ヤバいとこまでやってやるぞという執念を感じました。目が怖かったなあー。

映画を見た人と語り合いたかったが、一人なのでとりあえず映画館出てすぐの風の広場で発泡酒を買い、グイグイ飲みながら夜景を眺める。


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by chi-midoro | 2016-08-16 03:31 | 脱力
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