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ブラックニッカ日々 2016-9-30

こんなに眠いのになぜそれでも起きるのだろう、と思うほど眠い。
起きてカップ麺食べてまた寝る。

お昼からホテルのビュッフェで取材。なりふり構わずチャリを漕ぎ、さもライターっすといった顔でホテルの綺麗な席に座る。
取材が無事終わり、そのまま自転車で天満のThe 光へ行く。小指×ツポールヌ「YUMENOSHIMA 光」展というのが今日までで、ギリギリ間に合った。
小指さんという方の夢日記と、音楽を聴きながら五線譜に描いていったドローイングとマンガがどれも素晴らしかった。Tシャツ、SとLしか無くて残念。
トコさんが今度中津に引っ越してくるというので飲む機会が増えそうでとても楽しみ。
そのThe 光の上の階にある内鳴帝国さんの店「SLAP」にもお邪魔して、藤子名人展を見る。LBTや百合おんさんのイベントのフライヤーになっていた絵を見れた。ステッカーを買う。

ゲオでDVD借りたりしてるうちに小雨が降ってきた。

白菜茹でて夕飯。
締めに、10日前ぐらいに作った生地で製麺してラーメン。

一休みしてちやじさんと飲みに天満に。
お仕事の話やイラストの話など聞く。
おすすめの音楽の話でも愚痴でも、なんか面白い。
缶チューハイ買って散歩しながら歩いて、こういう時間があってとりあえず大阪きて良かったと思った。

藤原彰「飢死した英霊たち」を読んだ。

第二次世界大戦時の日本軍の戦没者はその過半数が、食糧不足による餓死や、栄養不足からくる病死だったという事実を戦場ごとに分析している本。

戦争の映画なんかみてると激しい銃撃戦で戦うみたいな場面ばかりだが、もっと絵にならなくてじわじわと体力を奪われていくような死が本当は一番多くて、戦争なんて勇ましさもかっこよさのかけらもないもんだということがわかる。そういう意味では「野火」のあの表現は、戦争映画の中では珍しく、ただただ悲惨な飢えを描いていたんだと思う。

印象に残った箇所。

「率直に云ふならば死ぬ前に一度、たった一度で良いから腹一杯食べたいと思ったのは強ち死んでいった戦友だけではなかった」

「入院させようと思っても、野戦病院とは名ばかりで医薬もなければ看護兵も満足にいず、おまけに食事もない始末なので、むしろ患者は戦友の傍にいることを欲した」

「此の際軍人の名誉より一粒の米、一なめの塩の方がずっとずっと欲しい。「武士は喰わねど高楊枝」なんて言葉は通用しない。もう一年間も人間らしい食物を食べていない人間には只々食べる事のみが重大な問題なのだ。そして一秒でも一瞬でも生きたいんだ。私は痔の痛みを感じながら部隊長の大声も馬耳東風で心の中でこのように思っていた」

「馬の管理は大変不良だった。梅津馬政課々員が上海出張から帰って「馬は痩せて紙の如く、一枚二枚と数えている」と言ったのが未だ耳に残っている」

食糧の確保について考えずに大本営が戦況の厳しさを無視してどんどん兵を送り込んでみんな飢え死にした。食糧については「現地調達すする」みたいな適当な計画しか立ってなくて、制空権も奪われて爆撃を避けながら、食糧の何もない森に逃げ込むしかなかったという。あと、日本軍は捕虜になることを良しとせず、玉砕や自決を美徳としていたから、どんなに飢えても投降はできなかったという。

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by chi-midoro | 2016-10-01 02:06 | 脱力
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