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ブラックニッカ日々 2016-11-26

昼はカップ麺にもやしとかピーマンとかを茹でたのを詰め込んでカップから大幅にはみ出したもの。

このところ連日カレーで、麺が食べたい!とずっと思っていて(あ、でもおとといぐらい食べたか)、
今日は嬉しかったのだが、ズルズルとすすり終えてみると、カレーが恋しいなと感じた。

「ゴミ」っていうZINEの3号に、自分が少し寄稿させてもらったのが届く。
丁寧に作られている感じの贅沢な本。何雑誌といえばいいんだろう、気になったことを全部やってるような本だ。
おとといはやはり寄稿させてもらった「仕事文脈vol.9」が届いて、
なんかやはり紙に印刷されたのを見ると嬉しい。
しかもどっちもリトルプレスながら他にないことをやってるアツい雑誌で…。
しかも「仕事文脈」の方はこの日記を読んでいただいて声をかけてもらったという経緯で、
心底ありがたい話であった。
仕事をくれる人のおかげでこんなんでも生きていられる。

ウクダダさんがインスタにあげておすすめしていた高橋源一郎「非常時のことば」を図書館で借りて読んでおり、ぼんやりポリティカルコレクトネスのことを考えた。どちらかというと、風潮的にはポリティカルコレクトネスとか持ち出すやつは堅物で、行き過ぎたら狭苦しいみたいな感じに向かって行きつつある気がする。時代とともに、本当に少しずつではあるかもしれないが、人権や差別について過去の至らなかった部分を人間全体で克服していってる歴史を生きているように思っていた、っつうか差別なんか無くなっていった方が良いに決まってるって思っているし、少なくとも自分の周りの人はそれを大前提にしていると思うんだけど、どうもそう簡単じゃないようだ。

いつからか「外人」って言うのが嫌になって、できるだけ他の言葉に言い換えているのだが、そうやって負荷がかかるのが面倒で、「なんでそんなことまで気にしなきゃいけないんだよ!うぜえ!」みたいな感じで思ってるところに「ぶっちゃけますよ!」みたいな声のデカい政治家が現れたらそっちの方が楽そうだな、風通し良さそうだな、と思うのだろう。きっとポリティカルコレクトネスに対する一番のライバル語は「シャレのわからないやつ」だと思う。そんで「シャレのわかるやつ」が重宝されて行きそうに思う。

そこにはなんか考え方の罠があるような気がする。差別に配慮して言えないことが増えていくとしても、それは言うべきでないことなんだから、言えなくていい。それをさも、選択肢が奪われたように言う、言葉狩りみたいに言うと、真面目な風紀委員に対する愛嬌のあるワルみたいな感じの図式に見えてくる。それがおかしい気がする。もし、これまで100年ぐらい使われてきた言葉があって、それがこれからの時代にはふさわしくないとしたら、その言葉が消えることは、ルールがただ新しくなったっていうだけで、そのルールは、少しでも多くの人が参加して楽しめるように作ったルールなんだから、それで全然良い(でもこういう、何かとゲームに例えたりするのも嘘くさいな。比喩の胡散臭さ)。

なんとか、「ぶっちゃけ至上主義」の方が気楽な風に見えてるこの印象が変わって欲しい。「ぶっちゃけますけど〇〇なんて国はねそもそも」とか、そんな物言いが風通しの良さなわけがなく、むしろ逆なんだ。俺が務めてた会社で、裏でコスいことをしてる胡散臭い社長はぶっちゃけキャラだった。バッサバッサ斬っていくそのやり方で、世界を狭くしていくのはそっちなのだ。

けど「どこまでアリでどこからNGなんですか?それはどうやって決めるんですか」、「そういうあなたも、これこれこういうところでセクシュアリティに無頓着な発言してますよね」とか、言われたら言葉が返せないこともまだたくさんある。しかしとにかくその面倒くささは、大事な面倒くささなはず。

なんか絶えず何か食べたい気持ち。
カレー三昧の日々によって太ったので、柚子胡椒舐めて我慢。



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by chi-midoro | 2016-11-27 01:00 | 脱力
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