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ブラックニッカ日々 2016-11-29

何度寝かして昼。

借りていた「天王寺おばあちゃんゾウ 春子 最後の夏」のDVDを見る。
2014年に66歳で死んだ天王寺動物園の春子っていうゾウの死までの一年を追ったドキュメンタリー映画。

2歳の時に天王寺動物園に来て、それから64年間ずっといて、
飼育員が何人かいるんだけど、ゾウは飼育員に序列をつけるそうで、
一番ベテランの方でも、春子に許されてお世話させてもらってる、というようなことを言っていて、
その関係も面白いし、食欲もあってまだまだ大丈夫かと思われていた春子が急に体調を崩したのが、
天王寺動物園にまだ幼いトラとキリンがやってきて、人気者になって、
「これで私もようやくもういなくなっても大丈夫かな、と春子が思ったんでしょうね」と飼育員さんが語っていて、
ゾウがそんなこと分かるわけないじゃんと言う人(って別に具体的にイメージできないけど)にしたら、
バカバカしいことかもしれないけど、春子自身が、「もう私はそろそろゆっくり休んでいいよね」と直接考えなかったにしても、
飼育員さんのかける声とか、肌に触るタッチとか、そういうことからいくらでも繊細な情報を受け取れるだろうし、
心の通い合いや周囲の状況を察知して色々考えるのは当然だろう、と、見ているうちに思えてきた。
いや、そんなこと、どの動物園のどの飼育員も、ペット飼ってる人にとっても当然のことだろうけども。

ゾウって、自分自身の重みで肺を圧迫してしまうために、横になるっていうことがせいぜい数時間しかできないそうで、
つまり、足腰が弱って倒れてしまう時が死ぬ時なのだ。
春子が倒れてしまって、それをみんなで頑張れと起こそうとするんだけど、
もちろん体が重すぎて人力で起こすことはできず、なんなら春子がもがいて踏ん張ろうとする足で踏まれたらきっと人間はひとたまりもなく、なんという動物なんだと、見ながら思ったし、というかそもそも、人間も含めた動物のこの色々な形や生態のバラエティの豊かさよ!と改めて思った。

野性のゾウであれば、倒れたらそのまま静かに死を待つだけだろうけど、飼育員の方は、なんとかベルトで吊り上げてサポートする形でもう一度春子を起こそうとする。でも重たすぎて、業者の方を呼んで、その人たちがようやく作業し始めたあたりで春子の呼吸が徐々に遠のいて、「もう、やめましょう」と言う。それまでをずっとカメラが撮っていて、見ていて辛いけど、死を迎えることを共同作業としてみんなで受け止めていくような、儀式みたいな感じがして、すごいもの見てるとも思った。

少し前に取材させてもらって記事がネットに公開された中崎町の力餅食堂に、そのことを知らせに行けていなくて、記事をプリントして持っていくことにする。そしたらプリントの途中、10枚プリントしなきゃいけない9枚目でプリンターのインクが無くなって、家にも替えがなく、じゃあUSBにデータを入れてコンビニで最後のとこだけプリントしようと思って近所のセブンイレブンに行ったらUSBメモリがコピー機に認識されなくて、みたいな、こういう謎のタイムロスはなんなんだろうか。まあ暇だからいいんだけど。

ローソンでやってみたらプリントでき、自転車で力餅食堂へ。

原稿を見ていただきながら、カレーラーメンを食べる。甘じょっぱくてとろとろでうまい。
ご主人と奥さんに「キレイに写真を撮っていただいてー!」「こんなに丁寧に書いていただいてありがたいです」と言っていただき、それはもちろん嬉しいのだが、自分の記事でお客さんが増えるでもなし(そういう風に書けてない自分が悪いんだけど)、なんかホント申し訳ない気持ちになった。

ライターとかいって、自分でそれっぽく言ってるだけで、書いた相手になんの良いことももたらせない。

白菜ともやしと豆腐をスーパーで買って帰る。
そして夕飯はそれを茹でて食べる。

どう考えてもお金がない。
明日中に払わなきゃならないお金があり、明日いくらか入ってくる気でいる原稿料でなんとかできないかと思っているのだが、
明日になって通帳記入してみないと分からない。

Fadebookで中原昌也が一番好きなボーカリストだと書いていた「Dr. Feelgood」というバンドのアルバムをずっと聴く。
音が丸ごとかっこいい。スパスパしたドラムが好き。

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by chi-midoro | 2016-11-30 03:34 | 脱力
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