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ブラックニッカ日々 2017-01-15

もらいものの生麺タイプのラーメンに白菜の芯を刻んで茹でたものを加え、それを昼ご飯にする。

やたらと眠たくて、横になって本を読んでまた眠って、無性にコーラが飲みたくなって夕方に買いに外に出た以外はずっと家にいた。

夜、原稿を書く。
なんとかできあがる。

2月に巴さんとやるバンドの曲をiPadで作る。
これでいいのか、わかんない。

遠藤賢司が去年サニーデイサービスと一緒にやった、癌からの復帰ライブの実況録音盤を買って、
ディスクユニオンで買うと、本編ではカットされてる当日のMC集のCD-Rが特典でつくということで、
それがむしろ欲しくて本編を買ったんだが、そのMC集の中で、エンケンが最近読んでるという本を紹介していて、
それが山田康弘「つくられた縄文時代」という本で、図書館で借りて読んでいるのだが面白い。

いま読んでるのはまだ半分ぐらいのところだけど、縄文時代と弥生時代という区切りとか対比が生まれたのは1960年代になってからのことで、いま漠然と縄文時代を想像するとそっちは荒々しくて狩猟主体、弥生時代はもっと高度で稲作してて、みたいなイメージが浮かぶけど、それもかなりそのようにどこかで作り上げられたイメージであり、研究が進めば進むほど、ことはそう単純じゃないっていうことがわかってくる。

なんなら、縄文時代がどういう時代だったかという印象は、それを考察された時代によってどんどん変わっていっていて、例えば70年代ぐらいだと「ディスカバージャパン」みたいな日本再発見、改めてみれば日本はこんなにも素晴らしいのだ!というような風潮に影響を受けて、縄文時代がすごく謎を秘めた魅力的なもの(オカルトっぽい要素も含めて)として紹介されるようになったり、バブル崩壊後だと、それまでは身分の差のないユートピアみたいにして捉えられていた縄文時代が、実は身分制度もはっきりあり、貧富の差もあった時代としてクールに再考されるようになったりとか、そういう風にその時々でイメージが操作されているというか、そういうものらしい。

まあ、確かになんせ残された土器とか骨とか遺跡から推察するしかないんだから、推察する側によって読み替えられることは当然あるだろうと、読んでいるとだんだん、自分の知識の基盤が疑わしくなってくる感じが面白い。エンケンが教えてくれなかったら絶対手に取ってない本。

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by chi-midoro | 2017-01-16 02:07 | 脱力
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