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ブラックニッカ日々 2017-01-31

朝5時頃起きて仕事。
セブンイレブンの焼酎を飲みながら頑張る。
急ぎで3つやらなきゃいけないうちの1つがなんとか終わり少しほっとする。
寒い部屋で体が冷え、袋めんを茹でて食べる。

そしてまた寝る。

母からダンボール箱に入った菓子など届く。

昼頃起きて大阪駅前ビルに取材に行く。
緊張してきたが、なんとか滞りなく終わり、
ついでに「もっきり屋」で古本を何冊か買う。

あと、金券ショップの前を通ったら兵庫県立美術館でやってるアドルフ・ヴェルフリ展の招待券が800円で売ってたので買う。
来週行こうと思う。

夕飯は湯豆腐。
明日から摂生することにして締めに乾麺を入れて食べる。

図書館で借りていた山田康弘「つくられた縄文時代」を読み終える。
面白かったところメモ。
・縄文時代っていう括りは戦後に新しい日本史を記述するために生まれたもので、縄文時代観は時代によって変わってきた
⇒縄文時代をある時はユートピアのように見たり、オカルト的な世界として見たりとか。

・食料採集時代の「貧しい縄文時代」が行き詰まり、食糧生産社会の「豊かな弥生時代」へ移行したという発展段階的な捉え方が1960年代の主流だった。
⇒著者はそう単純には考えていなくて、狩猟や採集主体の縄文時代ならではの文化があったと思っていて、それと弥生時代とに優劣はないと考えている。

・縄文時代は身分制度がなく、得た食料は平等に分け与えられていたと考えられていた時期もあったが、特定の地位の人が数多くの装飾品とともに埋葬されていたり、豪華な副葬品と一緒に埋葬された子どもの例が出て来たりして徐々に身分の差があったことがわかってきた

・考古学は研究者が生きている時代をどうしても反映してしまう。都出比呂志という学者の「研究者は時代の空気を吸い、時代に働きかけて生きているが故に、自らが存在する時代から超越することは困難である」という言葉が引用されている。

・縄文時代は貝塚が遺っていることからも分かる通り、定住生活が始まった時代と思われがちだけど、それには地域差というか環境にあわせた差があって、ある季節には木の実がたくさんあるけど、ある季節にはまったく無くなるような地域では、季節によって住居を移動したり、その後また元の場所に帰ってきたりっていうような動きがあったりして、一概に定住とは言えない。
⇒縄文時代には、日本の北から南でかなり異なった住環境や文化が存在していてひとまとめにすることはできないと著者は考えている。色々な文化が同時に存在していたのが縄文時代の本当の姿だと思っている。

・「私たちが縄文時代の遺跡や文化的レベルを評価する場合、たとえば土偶の数といった量的な部分を評価する傾向がある。そして、量的に多いことをもって「文化が進んでいた」と考えがちだ。しかしながら、たとえば土偶の量が多いということは、それだけ土偶による祭祀が必要とされたということに他ならない。土偶の非常に多い地域とほとんどない地域、現在の視点から見て、果たして精神的、社会的に不安定だったのはどちらであろうか」

っていう感じで、教科書で習ってそれから自分の中で固まったままになってるなんとなくの古い歴史のイメージも現役の研究者によって常に更新されてるんだなーと思って面白かった。当たり前に思ってる歴史観が案外不安定なものだっつう。あと、住宅が建つ時に土を掘り起こして遺跡が発見されることが多いから、どうしても住宅が建ちにくい場所の研究は遅れるっていうのも面白かった。

と、最後の、土偶が多けりゃ文化が高度だってもんじゃないという話が面白くて、前にアマゾンの部族の話を立て続けに読んでいた時もそうだったけど、歴史とか言葉が無いっていうことは、それが必要ないということで、記述して振り返ったりする必要なく日々が豊かに過ぎていくということでもあるわけで、もっと小さな例を見ても、例えば本当にアングラな音楽シーンとか、誰もそれを歴史的に書き残したりしないようなものもたくさんあるけど、歴史が無いからって貧しいなんてことはなく、むしろ一瞬で沸騰して消えるような面白い動きだったからこそ、それを誰も残さないっていうことはよくある。

どっちかというと歴史は、幸福なことがあって書き残されたんじゃなくて、悲劇を記憶しておくために書き継がれたんじゃないかという気が、だんだんしてきた。

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by chi-midoro | 2017-02-01 01:32 | 脱力
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