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ブラックニッカ日々 2017-04-08

起きあがれない。
寝床の中で、いま一番自分が食べたいもの、なんだ、と考えたら、これぞ!っていうなんでもない醤油ラーメンだなと思った。
そして笹塚の福寿のラーメンだ!と気づいた。
でも電車乗るのが面倒になってまた眠る。

再び目覚め、そのままの格好で外に出て、近所の「しばらく」という豚骨ラーメン屋さんに入る。
食べて見ると思ったより全然食欲が無く、ギリギリ食べきれるぐらいだった。

そのまますぐに部屋に戻り、
また眠る。
次に目が覚めると19時半頃。

誰かと飲みに行きたいが、そんな体調でもなく、ゴロゴロし続ける。
なんかまたお腹が減ってきた気がして、昼に行った「しばらく」のすぐ隣にあるセブンイレブンに入る。
サラダとカップ麺を買って帰る。
緑道の夜桜がきれいだ。

22時ごろ元気が出て来たので近所の友達に連絡。
飲むことになったが、相手が眠ってしまい返事がないまま深夜になった。
なんとも何もない一日。

田中小実昌の娘・田中りえの小説「ちくわのいいわけ」を読む。
すごい良い。
ドイツ人男性と結婚して、うまくいかなくて子どもと一緒に日本に帰ってくる、という顛末を軸に、
色々横道に逸れながら、平熱な文章で淡々と思い出が連想されていく。
人に言いたくなるような面白いエピソードとかでもないんだけど、
その人がそう考えたことが知れて嬉しくなるような本だった。
句点がものすごい多用されている文章もゆっくり語る感じでいいんだ。
ふせんつけたところを抜き書き。

・そもそも、私は、失敗だらけのタイプで、ミスが許されない仕事は、向いていない。
・傘や、ぼうしを、しょっちゅう、なくしていた父は、「どこでなくした」と、母が、おこると、「どこでなくなったのか、わからないから、ないんだ。わかっていたら、なくなるか、バカ」と、大声を、あげていた。
・ホテルの、父の荷物がそのままの部屋に入ったら、五分の一ぐらい減っている、ゴードンのジンのボトルがあった。(中略)部屋の掃除に来た、フィリピン人のメイドさんに、「父は、亡くなったのよ」と、言うと、「あら、まだ、こんなに、お酒が残っているのに」と、笑っていた。この、メイドさんのセリフを、父に伝えてあげたら、きっと、とても、よろこぶだろうと、思った。
・息子が、小学校で、作文を書き始めたとき、私は、こんな感想を言いたかった。「おまえの、この文章は、先生には、ほめられないだろうが、母さんには、よさがわかるよ。たとえ、成績が悪くても、このままで、いいんだよ」
・息子が幼稚園のとき、迎えに行くと、息子が、うれしそうに、走ってきて、言った。「お母さん、手は、なんでうごくか、しってる?手が、かってにうごくんじゃ、ないよ。それはね、脳がうごかしているんだよ。脳の命令で、手は、うごくんだよ」
・当時、九州の博多から、東京まで、汽車で、二十四時間かかったそうだ。そのあいだ、いちどもトイレに行かなかったのが、母の自慢だ。
・通信教育の作文講座の添削をしている友だちがいる。高校生の作文にも、主語と述語があってない文が、たくさんあると言っていた。(中略)いちばんの傑作は、「ぼくは、桜が、咲いた」で、「ほう、満開だね」と、コメントしてあげたくなったそうだ。
・「ドイツではね、教師という単語は、男性と女性とは、語尾が違うの。でもね、女の教師が、九十九人で、男の教師がひとりでも、その全体を指すときは、男性の語尾になって、男がいることは、わかるけど、女性の存在は、わからないの、これが、ドイツ語なのよ」と、彼女が話してくれたことを、とつぜん、思いだした。(中略)なんで、彼女は、こんな話を、してくれたのかな。

最後の「なんで、彼女は、こんな話を、してくれたのかな。」というのが、本当に自分にもすごくあって、あの時なぜ、誰かが自分にそんな話をしてくれたんだろう、みたいな、そういうことってずっと覚えていたりするけど、そういう話の集まりみたいな本であった。

田中りえは、この本を出してすぐガンで亡くなってしまった。
死後、田中小実昌も田中りえも住んでいた家で回顧展が開催されたのを自分はたまたま知って見に行って、その時、田中開という背の高い、田中りえの息子さんが出迎えてくれて、ぶっきらぼうに見えるけど人当たりのいいその人の雰囲気が記憶に残っている。

あの家で田中りえさんはこれを書いたんだなと思うと、余計愛しく思えるのだった。

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by chi-midoro | 2017-04-09 02:03 | 脱力
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