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ブラックニッカ日々 2017-04-28

午前中に目が覚めたその勢いで仕事する。
無事終わり、昼ご飯は都島の担々麺屋。

うまかったなーとすぐに帰宅し寝る。

寝て起きたりして夕方。

頼んでた本が今日も2冊届く。
買い過ぎている。

図書館で借りていた中井久夫「分裂病と人類」をようやく読み終わる。
わかるかっつうとわかんないところも多いんだけど面白い。

特に西欧の精神病学の歴史を魔女狩りとその後の革命と宗教に絡めながら俯瞰する第3章は、
固有名詞が死ぬほど出てきて、理解できないままにぼーっと読んでしまったが、
それでも例えば人間の精神の一人一人の差異だとか、個人の自我だとか、
今当たり前にあると思っているものもある時代にどこかの情勢をきっかけに生まれているんだなという、
その複雑なつながり中からできあがってきた、という感覚だけは分かる。

抜き出しておきたいとこだけ何か所かメモ。

・(日本の)高度成長を支えた者のかなりの部分が執着気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起こしてきた。著者はこの時期に、そのあとに来るものはあるいは、より陶酔的・自己破壊的・酩酊的・投機的なものではないかというおそれを述べたが、それは一時期、現実のものとなったようである。

・十七世紀のウェブスターの戯曲にも出てくるように、ロンドン市民は日曜日になると精神病院べドラムの見学に出かけるのが楽しみの一つであり、入園料が病院の収入の少なからざる一部を占めていたのであって、これは動物園にはるかに先んじた出来事である。

・(十九世紀の)市民社会はまた、特にそのサロンを通じて、人間心理の細やかな襞や対人関係の微妙な感覚を発展させていた。中世における修道僧の一部に匹敵するこの感覚は、集団と対話のなかで洗練され、公開あるいは公刊される点が異なっている。

この本の中に書かれていることで自分が一番身近に感じるのは、労働観と、人間一人一人の心の働きに対する視点の変化で、例えば、ある時代には勤勉が至上とされ、そこから脱落した者は怠惰な人間とされた。「心がくじけてやる気が出ません」なんていうことが少しも顧みられない時代もあった。その時代の中で優勢なものとか、基調とされる精神だけが重視され、そこから外れた精神を持つ人間はただの落伍者だった。

とりあえず、20世紀に入ってから(なのかな?間違っているかも)、生物学だとか政治とか色々なことと関連して人間の心を読み解く姿勢や感覚が変わっていって、どうしてもやる気が出ません!という人がいるのには原因がある、それを矯正する方法が何かあるんじゃないかと考えられたり、そういう心の動きに追い込む外的な要因を正そうと考えられたりとか、とにかく前の時代よりはよっぽど一人一人の心が重視されるようになった。

それにはきっと文学とか、絵画でもなんでも芸術が、きっと、ヒーローでもヒールでもない平凡な人間の心の動きを描こうと努力し続けてきたからじゃないかと思った。

いや、全然うまく言えないけども。例えば今、こうして私が「今日食べたラーメン、いつもよりなんか美味しくなかったんだよな」とか書くことも、今の時代だったら「ふーん、なんか、まあそういう繊細な日々の変化って、あるよね」みたいにみんな一応は聞いてくれると思うのだが、こんな平凡な人間のどうでもいい心の動きなんかまったくどうでもいいものとされていた時代だってあった。というかずっとそうだったんじゃないだろうか。

日本だったら織田信長とか、もっと最近だったら、松下幸之助の心の動きとか、そういうものはみんな注目するけど、ただなんでもなく生きて死んでいく普通の人がどんな風に思って時間を過ごしたかなんか、実際人類全体にとっては取るに足らないことだ。そういうものにも何かがある、耳を傾けてみようよ、と言う風に思わせてきたのは芸術の力なんだと思う。

堂々めぐりになっているような気がするが、ギリギリ今の時代だったら、「ただただ日常が繰り返され、何も起こらない小説」とか「風が気持ちいい一日だった」とかそういう些細なことを表現した映画とか、そういうものも成り立つと思う。だけどそれは、もうこの世にいない芸術家や哲学者が人間観を押し広げてくれたおかげであって、なんとなく、これからの時代は、そういうものが「やっぱつまんねえ。平凡じゃん」と軽視され、少しでもドラマチックなもの、過剰にエモいもの、声のでかいもの、などなどに掻き消されて行くように思う。

もしそういう風に時代が進んでいくなら、精神病者が動物園の動物のような視線にさらされ、社会の規範からはみ出したものは落伍者として隔離されっていう前時代の人間観に戻っていくのかもしれない。個の時代が限界になって、全体主義に回帰していく。すぐそうなるかは分からないけど、そんな気がする。

コーネリアスの新譜について「Radikoで聞ける番組でフルで流れてるよ」と教えてくれた友達がいて、それで聴いたら、コーネリアスが「あなたがいるから世界はまだマシ」みたいな坂本慎太郎の詞を歌っていて、その後、柴田聡子の「後悔」という曲のPVが上がったのを聴いたら、それはまばゆい恋の歌で、その曲も、このどうしようもない世の中で誰かを思う思いしか信じられるものは無い、というように聴こえた。

天気が良い、風が気持ち良い、誰か会いたい人がいる、というようなことに意地でもしがみつくしかない。


19時過ぎ、梅田へ。

シネリーブルで、この前キクザキリョウさんが「あれ読むと映画のストーリーがようやく分かるんですよ」と言っていた「バンコクナイツ」のパンフレットを買い、ちょうど始まるところだった「人類遺産」という映画で、金原みわさんのアフタートークショーがあるのに後ろ髪を引かれつつ大阪駅の風の広場へ。

そこでヤマコットさんとはやとさんと飲もうと約束しており、氷結買って、ステーションシネマで500円のでっかいポップコーンをつまみに飲む。

タイミングよくちやじさんから久々に連絡があり、一緒にみんなで飲むことに。
今日で仕事が最終日だったらしくお疲れ様と乾杯の会。

寒くなってきて、みんなで中津の手前にある中華料理屋に行くことにして、
チューハイ2杯飲んで〆にラーメン。

その後、コンビニで酒を買い、ちやじさんと二人で天満まで散歩する。




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by chi-midoro | 2017-04-29 03:14 | 脱力
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