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ブラックニッカ日々 2017-06-04

天気が良いので大阪城公園方面へ行く。
サブウェイのベジーデライトの野菜全部多めビネガーたっぷりって言って作ってもらったのを食べる。
ひょっとしてもう自分は肉がほとんど食べられなくて野菜でいいのかもしれない。

大阪城公園の園内には入らず、手前の寝屋川と第二寝屋川の合流するところの広場でダラダラ。
大阪城公園の中と打って変わってこっちは殺伐としている。
でっかい鯉が大量に死んで浮かんでいる。

白玉温泉に行き、サウナで体を熱々状態にした後、
今まで入ったことのなかった水風呂に意を決して入る。
この水風呂は、定期的にパイプから氷が落っこちてきて水を冷やしているカキンカキンの風呂。
なので入った時の死ぬかもっていう感じがものすごい。
しかし慣れるとこの温度じゃないとダメというのがわかる気もする。

ロビーで氷結飲んでスーパーで食材買って帰る。
夕飯は鍋ラーメン。

仕事を進める気力がなく、「文藝別冊 中井久夫」をパラパラめくる。
「統合失調症者の言語と絵画」という1971年に書かれた文章が再録されているのを少し読む。

「冬の日を静かに浴びている路傍の石をみて私の中に起こる感興をことごとく表現するにはプルーストの絶望的努力を以てしても足らないであろう。しかし、流動と変換に充ちたわれわれの日常意識は、通常、一隅の石に長くは留まらない。傍らに友人がいれば、感動を伝えるにしても、微笑して指さすにとどめるであろう」
という、この、路傍の石をみて友人に微笑するっていうところがいい。そんな友人いいな。

ここでは世界のありようを言葉で完全に表現することはできないということと、だけど人間は言葉の基盤によって世界に立つことができているから、例えばドーンといきなり地面が大きく揺れるような非常事態に置かれた時に、とにかく何が起きたのか、説明を欲しがる。混乱状態の中で言葉だけが頼りになる。そんな状況では、どう考えてもおかしいようなデマでさえ簡単に信じられる。デマですら、与えられることによって混乱の中にいる人は救われる。というようなことが書かれていて、言葉が外部から与えられないとバランスがとれないような危機的状況に陥っているのが統合失調症の状態の一つであると言っている。

東日本大震災があった時は、本当にそんな感じで、「お台場が火の海らしい」「東北はもう壊滅したらしい」みたいな、渋谷にいた誰かが言った言葉がぴゅんぴゅんと耳に入ってきては自分の中で地獄のようなイメージにつながって、「とにかくもうおしまいだ」という気持ちになって心臓バクバク状態だったのを覚えている。

おそらくどれだけ事前に「こんなこともあり得る、あんなこともあり得る」とイメトレしていたところで、本当に何かの事件だの災害だのに直面したら言語ゼロの宙づり状態にまずは放り出されるだろう。その時はいつもの自分じゃなくて、後で考えたらなんであんな馬鹿なことをしたんだろうっていう時の自分になるだろう。その時の自分や他の人たちがありもしないことを信じて愚かなことをしないように、法律だのもっと曖昧なモラルだのみたいなものが前もって用意されている気がする(そんなものも非常時ではいとも簡単に破られるのかもしれないけど)。

共謀罪のことにつながらないかと思ったのだが、書き出すと難しかった。「共謀罪といってもまさか一般市民まで取り締まるようなことはしないだろう」と言っている人がいて、それは自分ももちろん今はそう思うのだが、宙づり状態で、何でもいいから言葉を探しているような状況が出来たら、どんな言いがかりをつけたって一般市民を取り締まるかもしれない。地面が揺れていない今この時の思考と、宙づり状態の思考は違うのだから、もっともっとそれが乱用されることを怖がっておかなければならない。ということに、自分の中でふとつながった。

今夜の仕事はあきらめ、明日から頑張ることにする。
そしてダラダラパソコンの前に座り、3000円ぐらいの買い物を3つぐらいした。




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by chi-midoro | 2017-06-06 01:27 | 脱力
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