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ブラックニッカ日々 2017-10-17

朝起きて仕事。
昼、エースコックのワンタンメンに余ってた野菜色々(オクラなど)を入れたものを食べたのだが、
これが最近食べたものの中で最もなんとも思わない食べ物であった。
まずくはないけどうまくもない。
ただ、吸い込む。

昼過ぎ、ゲオに行き、なんとなく「メッセージ」を1泊で借りる。

夕方まで寝る。

晩ごはんは551蓬莱の豚まんなどで済ます。

おととい、堀江貴文が「保育士の給料が安すぎる」っていうニュース記事に対して「誰でもできる仕事だからだ」ってツイートして反感を買っていたのだが、本当にこのやり方が心底嫌である。

とりあえずまず過激な言葉で対象をバッサリ一刀両断。みんなエッと驚き非難の声も。でも実はよくよく聞いてみると真意はもっと深いところにあった…。みたいな。

何かに対してひと言で上に乗っかろうとする感じ。モッシュしてる群衆に対してダイブして乗っかってそのままスイーッとかっこよくサーフしたがってるようなイメージ。

本人は問題提起のつもりなのかもしれないが、まず悪意を燃料にしてる時点でクズだろう。そこから生まれる議論は結局、その悪意に反発するものと「よく言った!」みたいに擁護するもののバトルにしかならず、ポジティブな方向性をもたない。

堀江、お前はそのスカッとしたい気持ちをポリゴンの空間に住んでポリゴンの敵を永遠に撃ち落とし続けて発散してくれ。

ある程度有名な誰かが何か刺激的なことを言えば擁護と批判が生じ、それで何かが生まれたように一見思える。堀江のその後のツイートを見ても、「誰も何も言わないでいれば事態は一切進展しない」というようなことを言いたいようである。「こうして意見していくことも無意味ではない」というような。それがまた腹立つ。無意味じゃなく、それより下の悪そのものである。

炎上的なもの、なんでもかんでも「ぶっちゃけ言っちゃう」感覚、トランプもそうだろう。そういうものが面白がられ、風穴を開けたように思える時代があったかもしれない。20年前ぐらいはそうだったかもしれない。ビートたけしが政治を突く、みたいな。それが硬直したものをほぐすように作用したことも局所的にはあったのかもと思うが、そのひっかきまわしたいだけの姿勢は今は必要じゃなくて、もっと地味で恒常的に問題が議論される場を支え続けるようなことしか必要ない。なんつうか、「遊んでる場合じゃない」という気がする。

「逆に」というフレーズは松本人志が言い始めたものだったという。本人がそう言っていたのを聞いたことがある。で、自分もその「逆に」に影響を受けた。冴えない高校生活の中ですごく傷つくことが起こっても「いやこれ、逆に面白い」とか「いつかネタになる」というような考え方をクッションにして乗り切れた。なのでそれ自体には発想の転換、とか、相対的に見てみる視点を自分に与えてくれたものとして感謝しているのだが、その「逆に」が有効な範囲は変わってきていると思う。大きな問題に対して安易に持ち出すべきじゃないというか。

政治的な、社会的な問題に対しての「逆に」。差別に対しての「逆に」。堀江の発言にも「逆に」な感じが漂う。とんねるずの保毛尾田復活に対してミッツ・マングローブが、「それに救われた人(わたし)もいる」と書いていたのも「逆に」的な感がある。「救われた人」と言い出すと強い。どんな下品でクズな笑いでも「それで笑って自殺を思いとどまりました!」と言う人はいるかもしれない。で、それがいたから下品な笑いが肯定されていいっぽくなる。

以前、AKBの映画を見て思ったのだが、AKBが東日本大震災の被災地に来てくれて「元気もらった」という人ももちろんいただろうし、AKBたちも「自分にできることをやる!」といってそれをやりがいに感じていたと思うが、その「元気」っていう言葉はすごく危ない気がする。その元気の前には何も言えなくさせられる。「ここに確かに元気もらってる人がいるんですよ!だから否定しないで!」と言われると「ええ、まあ」と納得しそうになるが、それは思考の罠っぽくて、「そんなことに元気もらってないで別のエネルギー源を見つけた方が、なんか良い気がしますよ」と言うこともできるんじゃないか。

過激な物言いをすれば、それに乗っかる肯定派も必ずいて、そういう人がいる以上、過激な物言いが否定されなくなる。ってそんなの変じゃないだろうか。そういう問題提起の姿勢自体がその根本の部分でまず否定されるべきなんじゃないか。うまく言えてるだろうか。

保毛尾田問題が、あれはあれで議論を生んだんだから意味があった、と言われ出しそうでイヤだ。あと、笑いは少なからず差別的な視点を持つものだっていうよく言うあれもイヤだ。絶対に安全な場所から絶対に言い返せない相手に対して向けた差別的な視点と、自分もリスクを負っている位置からの視点には大きい差があるだろう。

とにかく自分は、モッシュに対するダイブ的なやり方でやろうとするのがイヤなんだろう。
(ここで言っているのは比喩で、現実のライブのモッシュとダイブは、ダイブする人が次の瞬間にはモッシュ側となってダイブする人を支えるような激しい入れ替わりがある。堀江もとんねるずもその入れ替わりを認めずに乗っかる側だけやりたがるからイヤなのかもしれない)

しかし、あの頃のとんねるずはめちゃくちゃ夜遊びとかして、その中から生まれたギャグみたいなのがたくさんあったように思うのだが、保毛尾田はどこから生まれたんだろうか。なんつうか、六本木とかあの辺で遊んでたら人種も性的指向も色々な人がいたんじゃないかと思うのだが……。そこから多様さを受け取らなかったんだろうか。

で、借りて来た「メッセージ」をボーイズたちと見る。
一人で見てるつもりが、気づいたらみんな真剣に見ていた。

そうして見てみると、子どもが見るのにも良い映画かもしれないと思った。
対話せよ!自分の理解を超えたものに敬意を払え!相手が何を思っているのか全身全霊で想像しろ!っていうメッセージがあふれ出しまくっていて、というかそれが言いたいだけっていう映画で、泣けてきた。チープなCGだったら醒めちゃいそうなところを、ちゃんと緊張感を維持しつつ描いていた。

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by chi-midoro | 2017-10-18 09:10 | 脱力
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