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ブラックニッカ日々 2017-03-24

気づけば床で寝ていた。
布団に入り直すがすぐ朝。

今日は10時半から梅田で取材。
しかも結婚相談所で相手探しをするっていう主旨で、
アドバイザーの方にじっくり話を聞く。

電車の中では二日酔いで頭が全然まわらなくてやばいなと思っていたが、
徐々に持ち直し、気づけば2時間半ぐらい話を聞いていた。
自分の条件だったらどれぐらい結婚相手がいるか、とか。
思ったよりいる。
ただ、年収を少し、いやだいぶ水増ししてしまった。だめだな。

終わるなりお茶を一気飲みする。
なんとか終わった。

すぐ帰宅し、しばらく休む。

食欲があまりなく、食べなくてもいいような気もしたが、一応そうめんだけすする。
仕事する気になれず、ぼーっとして過ごす。

水木しげる「猫楠」を読む。
最高。
実際の熊楠の生涯からどれぐらい脚色したものなのか(もちろんそれならそれでいいけど)詳しく知りたい。

巻末に水木しげると中沢新一の対談がほんのちょっと載っていて、熊楠は分裂病気質だったんじゃないかみたいな話の流れで、中沢新一が「現代の科学でユニークな可能性のあるものは、みんな分裂的ですよね」と言っている。全然違うかもしれないけど、この前読んだ、坂口恭平の「現実宿り」という小説も分裂的視点が繰り返しでてきた。

鳥に食われてる蜘蛛である私と、すでに鳥に消化されて鳥として食われる自分を見てる私、それがどちらも並行して自分である、みたいな。どっちも同時に知覚しているというような。そんなの、今の自分には全然感覚できないが、たぶん、今後、なんか大きな価値観の変化が人間に訪れるとしたらそのひとつに分裂的視点というのがあるんじゃないかという気がする。
(という自分は分裂病ということと分裂的視点というものが近いと思ってるけどもしかして全然違うかもしれない)

自分が同時に色んな場所にいられるように感じられたら、狂うかもしれないけど、でも、「はい、ここ俺の陣地!」みたいなセコい思考から逃れられるかもしれない。

そんな流れで、ちょうど図書館で借りていた中井久夫「分裂病と人類」を読み始める。理解できないところも多いけどめちゃくちゃ面白い。分裂病患者が回復期に発作的にもとの症状に戻ることがあって、それは自転車で人混みを走っているケースに多いという。道行く人々の言葉の断片が耳に残って、それが何か重要な兆候に見えだす、という。

色々なものが予兆に見えだすというのが分裂病の思考の方向で、相手の表情のなんてことない変化を見て、「決定的な判断がなされた」みたいに感じるとか、あと、この前読んでいた「強いられる死 自殺者三万人超の実相」にも、過労で精神的に追い込まれた人が「集団ストーカーを受けている」と語り出して、企業が自分を精神的に追い詰めるために常に自分の後ろをいやーな距離を保ちながらついてくる係をつけてその人が自分の背後で大きな物音を立てて嫌がらせしてくる、みたいなことを言っている部分があったけど、それも完全に色んなものが予兆に見えだしている状態だろう。

何かが予兆に見える、というのの軽い程度のことは狂ってない人にも全然あり、時計を見てちょうど3:33だったらなんかがどうだとか、そんなことは考えるものだが、その予兆の音量がデカくなり、拾うマイクの感度も繊細になっていくとバランスを崩していくということなのだろう。

でもその”バランス”というイメージ自体、平穏な社会生活を遅れるようなバランスであって、熊楠みたいな生き方はいくらでも”破綻”だと言えば言えるけど、あれこそ、このこれまでの人間の歴史の行き詰まり感を超えるヒントなのかもしれないわけで…。

とにかく今、自分が分裂すること、にとても興味がある。

夜は、湯豆腐。
「BS酒のほそ道」のパリッコさんが武蔵野園を紹介する回を見る。
面白いしすごい楽しそう。良い温度。

焼酎がなくなり、ヤマコットさんに誕生日にいただいて取ってあったブラックニッカを飲む。
グッとくる。

by chi-midoro | 2017-03-25 01:42 | 脱力
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