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ブラックニッカ日々 2017-12-13

今日も何度も何度も眠る。
眠りがすべて。憎しみも自己嫌悪もない。ただ変な夢の世界に漂うだけ。

それでも起きて仕事をする。
ようやく3個ぐらいあったやらなきゃいけないことが片付き始める。

15時頃の新幹線で帰ることにする。
なので昼ご飯は食べてから帰ろうと思っていたら父が生駒軒に行くというので行く。
三日連続だ。
今日は味噌ラーメンにする。

昨日の江戸政の話をする。
父も最初の生のつくねと、次の焼いたつくねでもうたいてい満足するらしい。
そして残りの3品はおみやげにしていたそうだ。

昨日焼き台の前にいた大将のお父さんが生きていた時代によく通っていたそうで、
週4で行っていた時期もあったとか。
その頃はうなぎの串も出していて3年ぐらい通って常連になるとこっそり貴重な肝の串を出してくれたそうである。
店の外にも席があったという。

喫茶店でコーヒー飲んで部屋に戻り、荷物まとめて出発。
新幹線のホームに上がったらちょうど3分後にのぞみが出るところで飛び乗る。
端から端まで歩くような感じで自由席の方に向かったがほぼ満席。
なんとか通路側の席で一つ空いているのを見つけて座る。
家から持ってきた発泡酒を飲みながらウトウトして過ごす。

酒井隆史「暴力の哲学」を読み終わる。
すごい本だった。時代が下ったらいつか発禁になってもおかしくないような。
それほど厚い本でもないから、ここで語られていることは、語ろうとすること全体の一端のようなものかもしれないけど、
暴力を否定することは国家とかISのような過剰な暴力を生んでしまう、というようなことが書かれている。
武器を作って売りながら平気で暴力の根絶を訴えるのが国家で、
国家にとっては民衆から暴力を奪えば奪うほど統治しやすくなる。

それに抗うためには、様々な暴力を複雑な戦術で使っていかなきゃならない。
例えば、沖縄の高江でヘリパッド建設反対の座り込みをしていたけど、
あれは暴力をああいう形で行使してさらに大きな暴力を食い止める行いで、
それに対して「はあ?あんなの自衛隊の人たちに迷惑かけるだけじゃん?品がないよな」みたいに
外からあざ笑う、その暴力的なものに対する目の背け方こそが一番の暴力を呼び寄せる。
とにかく管理し支配しようとする者を色々なやり方で困らせ続ける必要がある。
色々なやり方がある。その色々なやり方を、権力に反発し続けてきた先人が考えてきた。
ストとかデモとか、自分がずっとこれまで、どう思っていいか分からなかったヘイトスピーチへのカウンター行動も、
あの過剰な暴力を掻き消すにはあのような暴力の使い方で対抗するのが有効だと考えた上で選んだ手段なのだと自分の中で理解することができた。
ダセエ!とか野蛮!みたいな声に耳を貸さず、タフに効果的に暴力を行使する。大きな暴力を弱めるために。

ページの端を折っておいた箇所メモ。

・「まず、手はじめには、こうとらえるべきだとおもいます。垂直の分極化によって生み出される距離からくる無力が水平の暴力に内向するという動き、これが現代の暴力に大きな線として貫通している、と。」
⇒この部分は会社のことを思い浮かべるとすっきり理解できた。ある時から会社の給与体系が変わり、「相対評価」を採用することになった。他の社員と比較して給与を決めるやり方だ。うちの会社の社長は下劣な人だったので、「君が給料をもらい過ぎていると何人かが言っているんだよ」などと面談であえて俺に言う。そういうことがあちこちで行われると水平の位置にある社員同士がいがみ合い、噂をし合うようになり、会社としては結局支配しやすいのだ。そういうことをしている社長が憎まれるべきなのに、なぜか暴力は水平に向かう。

・「いま日本でもっとも切実な暴力の問題のひとつは、あきらかに、暴力の内向する運動の極限形態である自殺です。」
⇒自殺は内向的な極限の暴力だという部分、なんか今まで気付けてなかった気がする。過度の飲酒なんかも自分への暴力だよな。

・キング牧師の文章
 「『なぜ直接行動を、なぜ座り込みやデモ行進などを。交渉というもっと良い手段があるではないか』と、あなたがたが問われるのはもっともです。話し合いを要求されるという点では、あなたがたはまったく正しいのです。実に、話し合いこそが直接行動の目的とするところなのです。非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです」

・「ナチの全体主義が大衆に力や強さの感覚を与えようとしたのに対し、いまの逆・全体主義は弱さや集団的むなしさの感覚を助長する。ナチスが、住民に積極的に体制を支えるよう要求するのに対して、逆・全体主義は政治的な動員解除と投票の棄権を求めるのです」

・「たとえば銃所持者の数だけをとってみればカナダの方が上である、ということはカナダも『銃社会』です。にもかかわらず、銃による殺人はアメリカの方が圧倒している。なぜだろうか?それはこの社会が恐怖をつねに掻き立てつつ、隣人への不信を煽り続けているからです」

・「全体主義的傾向と個人主義とはなんら背反するものではありません。孤立化は、同質化と中心への従属をうながすための権力の基本的な作用なのですから。ネオリベラリズムの統治が、まさにこの権力の作用をひとつの核心にすえていることはみてきました。それは人々を市場原理のエージェントとしての個体、「自己責任」の個体として孤立化させ、不安と恐怖を媒介にして個体を市場と国家に対して無防備にひらかせながら――「情報公開」とか「アカウンタビリティ」とかいろんな名がつけられます――、特異性という意味での個を消去していくのです。」

・ヘンリー・ソローについて
「統治することのもっとも少ない政府こそ最良の政府」というモットーをさらにすすめて「統治することのまったくない政府こそ最良の政府」にまで進めるソローの徹底ぶりは、ほとんどアナーキーですらある」
「アナーキーとはたんなる「混沌」のことではない。アナーキーであるとは、一見、分子のランダムで自由なふるまいが開放的でダイナミックな秩序を形成するという状態である。そしてアナキズムとは、政府や国家、国民といった制度によって上から抑えつけられなくても人々は自由を活用することで自発的に秩序を形成できる、という信念のことだ」


で、名古屋で窓側の席に移ることができ、窓の外を眺めながら酒を飲んでいた。

Twitterをふと見たら、キクザキリョウさんが「絶えず自分と誰かの『入れ替え可能性』を考えることが、住みやすい社会につながっていくのではないでしょうか」という言葉を引用しているのが目に入り、自分が知らない町を走っている車がどこかに向かっている場面がまさにそれにしっくりきて、自分が誰かだったら、と考え続けることが頼りだと腑に落ちた。

車の中の子どもが親が目を離した隙に行方不明になってしまい、「探してください!」と親がTwitterに投稿したのにリプライして、「捜索費用が私たちの税金から支払われると思うと許せない」などと書くやつがいるというのもTwitterで見て、そんなことを書くやつらの税金は捜索には使われずそこら辺の公衆便所のトイレットペーパー代になってるわバカ。と思うとともに、こういう人らは結局、自分と誰かの入れ替え可能性を少しも考えたことがないからこんなに強いことが言えるのだろうと思った。

17時半ごろ新幹線が新大阪に着き、真っ直ぐ帰宅。
夕飯は味噌ベースの鍋。うまい。

風呂入って一度眠り、起きて仕事。
明け方までかかったが、少し重たいやつが片付いた。

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by chi-midoro | 2017-12-14 22:55 | 脱力
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