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ブラックニッカ日々 2018-04-16

午前中に目を覚まし、11半ごろ家を出る。
十三に向かい12時過ぎから「第七藝術劇場」でやっている「袴田巖 夢の間の世の中」を見に行く。
映画館へのエレベーターのところでobocoさんを見かけた気がしたがエレベーターにスーッと入っていって声をかけそびれ、「ああ」と思って後ろを振り向いたら「サンプラザ中野くん」がいた。何かイベントとかで来ているっぽかった。1分の間に二人、知ってる人を見る。

「袴田巖 夢の間の世の中」は、「獄友」と同じ金聖雄監督の映画だが、「獄友」よりも凪いだ映画で、重複する場面が出てきたりもするのだが、また全然別の見え方をして、どっちも違ってよかった。

タイトル通りだけど「獄友」は冤罪事件の被害者っていうつながりの奇妙さが主題で、こっちの「夢の間の世の中」は、釈放後の袴田さんに流れる時間が主題になっている。ただ日差しを浴びながらぼんやりうちわで顔を仰いでいる袴田さん、とか、ただ明るい部屋が映る、とか、そういうショットがかなり多くて、じわじわ流れる時間を感じる。とんでもなくハードな人生の後の時間なのに、めちゃくちゃのんびりしていて、自分が畳に横になって西日を浴びているような時と同じ気持ちになる。で、その普通の気持ちよさを48年かけてようやく取り戻したんだこの人は、と思ってゾッとするような。

獄中で袴田さんが、おそらく拘禁反応が出る前に書いていた文章がすごく冴えていて、それが映画の中に何度も出てくるのだが、独房の中から月を見るのが好きで、月を見ると、その同じ月を見ている刑務所の外の人の自由を共有できるような気がするのだ、っていうような言葉があって、すごいと思った。

あと「獄友」にも出てくる桜井さんが千葉刑務所(だったかな)にいたときに、「冤罪を訴えて戦っている人の名前は入ってくる。それで、名前だけは知っていて、同じ戦いをしている同士として心の拠り所にしていて、刑務所で年に1度行われる運動場でのスポーツ大会で、『あの人が〇〇さんかな』って、顔を見たくて探してたって」いう、そんな話をしていたのも印象に残った。

あとそうだ、拘禁症になった後の袴田さんは架空の王国みたいなものを想像の中で作り上げているらしいのだが、「何億何千年かけて建設を進めてきた神の国が今日、ついに完成したんだね。これでもう自由になった」みたいなことをいつも何回も言っていて、「毎日その都度完成する」っていう感じがすごいと思った。「毎日が全部新しい一日」みたいに言い換えたらよくある言葉だけど、なんか、毎日完成するっていうのが。兵庫県立美術館でみた「アドルフ・ヴェルフリ」のことも思い出した。

その袴田さんが自力で突然パンを買いに行く、しかもめっちゃたくさん買う場面と、ボクシングの試合の観覧に招かれて、当初はその席で立って挨拶するだけの予定だったのが急にリングに上がるシーンがすごかった。

映画が終わり、いいものみたーと席を立とうとするとさっさんが劇場におり、今日は休みだけど見に来ていたらしかった。これから京都に行くところだというので八百屋での買い物に付き合ってもらい、一緒に駅へ。すぐ家に戻らなければならなかったが、せっかくだからと売店で発泡酒買ってベンチで一缶分しゃべる。

帰宅後、八百屋で買った野菜で鍋を用意。
一旦寝てまた起きて仕事。



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by chi-midoro | 2018-04-19 13:02 | 脱力
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