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ブラックニッカ日々 2018-06-15

おととい昨日と一歩も外に出ず。
今日も一歩も外に出ない。
久々に焼酎を飲んでみる。
お茶とあんまり変わらない。
これならお茶でいいのかもしれない。

Twitterで五木田智央の展覧会について黒瀬陽平と高橋健太郎という二人が討論になったという話題を見かけた。

黒瀬という人は、「五木田智央の作品はすでにあるもののコピーや組み合わせに過ぎないように自分には見える、美術館側がそれをどのような位置づけ、意味付けで展示するのかという態度が不足していたように思う」というようなことを新聞に書いて、高橋健太郎という人は、「コピーや組み合わせに芸術的価値が無いというのは軽率だ」みたいな感じで言い合っているように見えた。

Twitter上での議論は私にとってはバカらしいものに感じてしまって、真面目に読む気にどうしてもなれなくて、そのうちどっちの意見も含む全体が「どうでもいい」と思えてしまって乱暴でダメだなと思うのだが、この二人のやり取りに対して、「いや、五木田さんにはこんな良さがありますよ!」と突っかかるのは多分ちょっと意味がなく、「美術館や美術評論家は、ひとつひとつの作品や作家を自分なりに意味づけし、こういう価値があるからみんなに見て欲しい(あるいは見て欲しくない)と提示するのが最低限の役目だ」と黒瀬という人が言いたいのであって、個人レベルの感想についてどうせよこうせよと言っているのではないっぽい。

そう思ったけど、五木田智央が好きな自分として「じゃあ俺はなんで好きなんだっけ」と、この話題をきっかけに考えてみようと思ったことは事実。で、それが言葉にできるわけではないのだが、五木田智央はギャグ感を大事にしていて、明らかに笑わせようとしている作品もあり、そのギャグは、大竹伸朗がペラペラの看板の絵とかを模写して作品に取り入れるように、ヘタウマ視点、「こんなしょうもないものがさも大層な美術品のような雰囲気で展示されていること自体が面白いじゃない」という態度を常に持っている気がする。コピーや組み合わせのインスタントな面白さ、暴力性が大事なポイントになっている。

それと、自分が五木田智央の絵を最初に見たのは、フライングリズムスのジャケとか、すごいいいらしいDJが出てるイベントのフライヤーとか、ロウライフ周りのZINEの数ページとか、そういう、「なんかかっこよさそう!」と感じるストリートカルチャーの中でであったので、自分の中では最初からずっと「なんとなく最高!」という感じなのだ。美術的な価値の前にまずアンダーグラウンドシーンの人たちからこぞって支持されていたことが先にあって、その時点では批評的な価値とかはまだ関係なかった(そういう価値がなさそうな雰囲気をまとった絵だからむしろ支持されたかも)はずで、そういう場所から知られていった五木田智央であったということと、いつもなんらかのギャグとして存在していることを忘れてはいけないと思った。というメモ。

五木田智央の絵はTシャツとして欲しい絵で、Tシャツとして欲しい絵と、額に入ったものを飾りたい絵と、ポストカードとして画鋲で止めて壁に貼っておきたい絵と、色々あると思う。その差が美術批評的にどう扱われているかわからないけど、ひとえに芸術と言っても、効能、使い道、そういうものが色々ある気がする。その中でも特に五木田智央は、デカい美術館に堂々と展示されていながら同時にユニクロで千いくらのTシャツになっているような横断的な、どこにでも存在できるようなミーハーな面白さがあって好きだ。

昼ごはんはカップ麺。
夜はミートソースのスパゲティ。

19時から住民会議。
憂鬱。
2時間たっぷりで、自分は無言で「どうしたらこの時間が早く終わるか」をずっと考えている。

22時ごろから23時ごろまでひと眠りして、その後に起き出して、仕事するぞって思ったのだがその気になれず、
酒を飲んでずーっとアンビエントを聴いて同じ姿勢でじっとしていた。

24時になって銀行の口座の残高照会をして、このタイミングだと週明け月曜分の入金があるかもな、とチェックしてみたが何も入ってない。まあ大して仕事してないんだから当然なのだが。

それでまた2時間ぐらいじっとして過ごした。

by chi-midoro | 2018-06-16 11:22 | 脱力
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