<< ブラックニッカ日々 2018-... ブラックニッカ日々 2018-... >>

ブラックニッカ日々 2018-08-08

起きる。
「熱闘甲子園」を録画したのを見たら、昨日、自分たちが見た近江高校の4番バッターと
その大親友でずっと一緒に野球をやってきたけどベンチ入りがかなわなくて応援のリーダーになった選手のことを取り上げていて、
そのバッターは打席に入ると応援席にいるそいつのことを必ず振り返る。
そんで昨日ホームランを2本打って、そのうちの1本は自分たちも球場で見た。
あれがそうか、そしてあの応援席にはこういう人が立っていたんだなと知り、
昨日はポケーっと見ていた試合に別の視点が加わって面白かった。
テレビだからドラマチックに演出しているのかもしれないけど、
単純に、観客席からだと烏合の衆にしか見えない集団にズームしていくと一人一人の人間が見えてくるということがやっぱり面白い。

たまりにたまった日記をガガガと書いていたらどんどん時間が経って昼になった。

ラズウェル先生たちは今日は京都を飲み歩く予定で、
自分も声をかけてもらった。
「自由なタイミングで合流してください」と言っていただき、
なんとなく昼頃から参加しようと思っていたのが、ダラダラと遅くなる。

そうしているうちに御一行が琴ヶ瀬茶屋に向かっていると連絡があった。
昨日、甲子園のあとに「琴ヶ瀬茶屋どうなったんでしょうねー」という話になり、
自分がツイッターで検索してみたところ、1日前に琴ヶ瀬茶屋でかき氷を食べた人のツイートが出てきて、
「あ!再開しているみたいです!」と話していたのだった。

再開した琴ヶ瀬茶屋に自分もぜひ行ってみたくて、
焦って家を出る。
天六まで歩いて阪急電車。1時間ほど乗る。
御一行が茶屋に到着してからすでに2時間ぐらい経っているのでもうみんないないかもと思ったが、みなさんいて安心する。

琴ヶ瀬茶屋は完全に元通りだった。
豪雨以来、1ヶ月半ぐらい休んでいたそう。
トタン屋根は4枚ぐらい残して全部流れたらしい。

缶チューハイを急いで一缶飲んだところでそろそろ片付けの時間とのこと。
川沿いを歩いて嵐山駅へ向かう。

ラズ先生たちは朝起きて王将の一号店で飲んで、そこから嵐電の乗り場がすぐで、
じゃあ琴ヶ瀬茶屋行きましょう!となって、対岸から船を漕いで来たらしい。

みゆきさんとエリコさんも今日は京都を散策していて、
偶然にも琴ヶ瀬茶屋に同じタイミングで来て、ラズ先生たちにも会えたらしい。
その後、今日帰らなきゃいけないエリコさんを駅までみゆきさんは送っていったという。

嵐山駅から河原町まで向かい、地上に出てすぐの「もみじ」という立ち飲み屋へ。
「へーこんなところに立ち飲み屋あったっけ」という場所。
オープン3周年記念とかで生ビール、ハイボール、チューハイが233円。
キスの天ぷらはバジルソース味で、ポテサラもなんか凝ったもので、
あとそうだ、ハマグリの酒蒸し、豆腐のなんとか汁、ことごとく旨い。
「何これ!うま!」と心の中で言いまくる。
実際にも少し言う。
しかもどれも安い。

「なんすか!すごく良いお店ですね!」とラズ先生に言うと、
「ここはねーTOKIOの松岡さんに教わったんですよ」と言う。
エリコさんを送ってきたみゆきさんも合流。
ダメもとでお誘いしたスケラッコさんも来てくれた。

で、総勢7名となり、タクシー2台に分乗して「鳥岩」という店へ。
そこには糟野さんがすでに待ってくれていて、ちょうど8人収まれる長いテーブルを確保してくれていた。
焼鳥が美味しい店で、チューハイも300円とかである。
今日限定のサービスメニューで「松茸のフライ1本100円」というのがある。
お一人様1本のみとのことで人数分頼んで食べたのだが、
今こうして思い出していて、あの松茸の美味しさが忘れられず、
たぶんしばらく余韻を引きずりそうだ。
エリンギみたいな歯ごたえなんだけど、ジュワッとしみ出してくる旨みの濃度がすごい。
甘くてなんか旨くて…すだちを絞って食べる。

つくねもやけに美味しかったな。
駅からは少し離れていて河原町から歩くと15分ぐらいかかるそうなのだが、また来ようと思う。

もう一軒行きましょうーと「鳥岩」を出て夜道を歩く。
川沿いの小さなお祭りが見える。
前から思うがスケラッコさんが歩いている姿がいい。
ラズ先生が「スケラッコさんがまたねー!天才なんですよー!僕はね、もうスケラッコさんのマンガが好き過ぎで、この前、パクちゃったんですよ」と言って笑う顔もいい。
愛しい人たち。

「寿海」という大衆酒場の座敷に収まることになり、
そこで仕事帰りのヤマコさんも合流。
楽しく飲みつつ色々話した気がするのだが覚えてない。

22時半頃解散となり、ヤマコさん、みゆきさんと大阪方面へ戻る。
途中京都駅のホームでみんな示し合わせたようにいつの間にか買っていた缶チューハイで乾杯。

家に戻り、全然食べなくてもいい気分のくせにカップスープを食べる。

録画してあった「猫も、杓子も。」っていうNHKの番組を見る。
作家と猫との関わりをテーマにしたシリーズらしいのだが、
それに保坂和志が出るというので録画していたのだ。

30分弱の番組で、猫にエサをあげる保坂和志と、
原稿用紙に小説を書く保坂さんの後姿と、あと、少ししゃべってるところが映るぐらいのシンプルな構成。

酔っていたからか、最近こんなに泣いたことないぐらい涙が出てきて、
心地よいので泣きまくる。

保坂和志がエサをあげている猫「シロちゃん」は野良猫で、
家の前にエサをもらいに来るのだが、何年もエサをやり続けても一向になつかず、決して触らせてくれないんだという。
その距離感がいい。

保坂和志が家で飼っていた「ハナちゃん」が亡くなって、家についに猫がいなくなったという説明があって、
その後に保坂和志が「わかりやすく言うとハナちゃんは心の中にいる。わかりにくく言うと、死んでないんだよ」と言う。
保坂和志は、猫が死んでいなくなってしまうことを絶対に「ただ消えた」ということにしたくなくて、
でも「星になった」とか簡単なロマンチシズムに逃げることも絶対に嫌で、ずっと考え続けている。

自分が読んで感じたことで、直接そんなことは書いてなかったかもしれないけど例えばそれは、
「いま私が空気を割くようにして桜ノ宮駅まで歩く。その空気の揺れがまた隣の空気を揺らし、波紋みたいにどこかに伝わっていく。そんな風にして私が確かにここにいたことがこの世界に残り続けることだってあるんじゃないか」というように考える方向で、
最近読んだか聞いたかした保坂さんの言葉の中では、
「猫が生きている時、こっちの部屋にいるかと思ったらいない時があるでしょう。死んだということと、たまたまこの部屋にいないということってあんまり変わらないんじゃないかと思うんだよね。ただ、今この部屋にいないだけなんじゃないかって」というようにも語っていた。そんな風に考えることでもある。

自分も山形の祖父、祖母がもう死んでしまったことは確かなんだけど、たまたま出かけているだけのような気がずっとしている。

その「死んでないんだよ」っていう保坂和志の言葉がきっかけで涙が出てきたのだったかもしれない。

小説を書いている保坂和志の後姿を見て、唐突に思ったことがあってそれは、
「もし宇宙にいる人間以外の生命体が、地球に来て『きみたちは人間というのだね。何万年か生きてきて、どんなことがわかった?』と聞いてきたとして、その時に答えられるような何かを保坂和志は小説を書きながら考えているんだ」ということだった。

その宇宙の生命体に対して「いや、ビットコインっていうので最近少し損してね」とか「上司がすっげー嫌なヤツでさ、絶対ひと泡吹かせてやる!」とか、そういうことを言っても全然意味がなくて、「生きること」「死ぬこと」「愛すること」「その気持ちが冷めていくこと」「憎しみや悲しみを乗り越えること」「そうして色々人間は不器用に失敗しながらやっているが、でもそれでもやはり生きることは意味がありそうだということ」などを私たちは考えているよ、と伝えるはず。

保坂和志はずっとそういうことをしている。と背中を見て思った。
書いていて思ったけど「宇宙の生命体」は「神」に置き換えてもよくて、
神に向かって書いている、ということかもしれない。だし、神じゃなくて「山」でも「海」でもいいんだろう。

とにかく、これだ、これしかない、と思った。

[PR]
by chi-midoro | 2018-08-09 11:47 | 脱力
<< ブラックニッカ日々 2018-... ブラックニッカ日々 2018-... >>