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ブラックニッカ日々 2018-11-28

今日は朝8時半に森下駅で母と下の妹と待ち合わせることになっていて、
いつものゆるい約束と違って遅れられないなと思い、緊張していた。
そのせいか、5時半、6時、6時半、みたいに目が覚めては「ああ、まだ寝れるわ」と思ってまた起きてを繰り返し、7時ぐらいからもう起きていることにした。身支度して早めに出る。

乳がんが早期に発見され(ステージ1ということになるのだとか)、まず抗がん剤を投与して細胞を小さく留めておいてから手術をするという予定の母の、今日は最初の抗がん剤投与の日で、人によっては薬が合わず、副作用が大きく出たりすることもあるというので、初回だけ念のため1日入院して慎重にやる、ということなのだそうだ。

都営新宿線森下駅から大江戸線に乗り換える通路のところで立って本を読んでいたら母が来て、ずいぶん大きな荷物を持っている。1泊とはいえ、何が必要になるかもわからないし、と色々持ってきたそうである。まあ、1日で終わるのかもわかんないもんな。自分も一体これからどういう展開になるのか、全然わかってない。結構重たい荷物で、その荷物を持つ係というだけでも自分の役割が見つかったような気がしてホッとした。

しばらくして妹が来て、電車に乗り込んで若松河田駅へ。聞けば入院は10時からだそうで、まだ8時半。相当早い。駅前のタリーズで30分ほど時間を潰す。みんなでコーヒーを飲んでいるけど、これから抗がん剤だっていうのにコーヒーとか飲んでいいもんなのか、そういうこともまったくわからない。

「そろそろかー」と女子医大というデカい病院へ向かう。巨大な病棟が通りを挟んで向かいあうように建っているうちの、中央病棟という方へ行って入院手続き。手続きを終えた母が「部屋が変わるんだってー!」と言うのでよく聞いてみると、何週間か前、事前に主治医の先生と「じゃあこの日に入院して最初の抗がん剤をー」と話していた時に今日の日程を決めて、その時に入院する部屋も予約したのだそうだ。それが1日2万円の個室で、今日泊まって明日の朝までいると2日分の料金がかかるらしく、つまり合計4万円。そのはずだったのだが、予約した部屋に別の人が入り、今空いているのは1泊6万円の個室しかないのだという。で、それは申し訳ないので、1日分だけの6万円にするという話をされたそうだ。下の妹が「え!向こうの手違いだから、6万円の部屋を4万円にしますっていうことかと思ったけど、そうじゃないの?当初の予定より2万円も高くなったわけでしょ?ひどくない!?」と怒り、母も「ねー!」と言うが、「ま、言えないけど」と、下の妹も母も、決してそんなことを相手に伝えたりできないタイプなのである。

なんかここでゴネて悪い印象を持たれて治療されるのも嫌だし、要するにこっちは従うしかない感じだ。

病室は11階にあるそうで、エレベーターに乗っていく。エレベーターに若い医師が肩で風を切るように乗り込んできて、首をグイグイ回している。後ろからオシャレな感じでひげを生やしているのが見えて、こういう人も医者なんだな。そりゃそうかと思う。

で、11階の受付に行くと、入院する部屋に今朝までいる人がまだ退院してないので、1時間ほど待ってくださいと言われる。11階の端の方のロビーに椅子とテーブルがあって、そこで待つ。窓からの眺望が広く、右手の方に代々木や新宿のビル群が見える。「天気が良くてよかったよ。これで雨だったら滅入るよ」と母が言っている。

母は妹と、抗がん剤で髪の毛が抜けて(やはり、抗がん剤を投与すると抜けるものらしい。そういうイメージだけあったけど、本当なのだ)からの話をしていて、いつも行って仲良くしている美容師さんがウイッグを手配してくれることになったとか言っていて、こういう話は同性同士の方がしやすいだろうから妹がいてくれてよかったと思った。となると、自分は何をするかっていうと、特にすることなく、本を読んで過ごす。

ロビーには、入院している患者の人たちが電話しに来たり(ケータイはここでしか使えないらしい)、共同の冷蔵庫に名前を書いたビニール袋を入れにきたり、自販機に飲み物を買いに来たりする。みんなどこが悪いのか、もちろん、見ただけではわからない。

ようやく看護婦さんが呼びに来て病室に通される。入って左手にベッド、右手に4人掛けの革張りの黒いソファがある部屋で、窓が広く、外はさっき同様、東京の都心を見下ろすような景色だ。部屋の中に専用の冷蔵庫があったり、トイレもシャワーもあったりして、ここはケータイで通話したりしてもいいらしい。テレビも他の部屋はカード式で有料だけどここは無料で見放題。そういう細かい差の集積で値段が高くなっているみたいだ。とはいえ、決して広いわけじゃなく、ビジネスホテルのベッドが二つある部屋、ぐらいの。

ソファに座り、母はとりあえず必要そうなものを荷物の中から出したり、寝間着に着替えたりして、自分と妹は手伝えることは手伝いながら、でもほとんどぼーっと過ごす。たまに看護婦さんが来て、検温したり、入院時の注意事項を伝えに来たり、普段飲んでいる薬を確認しにきたりする、その都度違う人がきて、これが大きい病院かと思う。

ある人は、「お昼ご飯が12時からなので、それを召し上がってもらってから点滴をします」と言い、かと思えば、しばらくして「では点滴を始めていきます……あ、お昼が先がいいですか?あ、じゃあまたその後でいいです」と別の人が来て言ったりする。こういう風に大人数で分担してやっていく以上、何か取り違えたりミスしたり、そんなことがそりゃあ起きるよなと思う。でもそういうシステムだからたくさんの患者に対応でき、そのために高度な機器を備えたりできるわけで、わかんない、何が一番いいのか。

とにかく母は12時にご飯を食べ、それからまたしばらくして2種類の抗がん剤を、初回なのでかなりゆっくりとしたペースで点滴していくことになり、「お前たちも何か食べたら」と言うので妹と院内の少し離れた敷地にあるコンビニへ行く。自分はコンビニで何か食べるぐらいなら何も食べなくてもいいやと思って何も買わず、妹の買い物を待つ。それで部屋に戻ると母はすでに病院の昼食を食べ終えていて、またぼんやり時間が過ぎるのを待つ。

図書館で借りていた山竹伸二「こころの病に挑んだ知の巨人」を読む。森田正馬、土井健郎、河合隼雄、木村敏、中井久夫という5人について、その理論とか精神病へのアプローチ方法についてまとめた本で、自分はこの中だと、河合隼雄の本を少し読んだことがあるのと、中井久夫の本は大好きでとんでもない偉人だと感じているぐらいだ。森田正馬とか土井健郎のことは名前も知らない状態。森田正馬は、「森田療法」っていう、例えば何か自分が恐怖してしまう対称があったとして、それを怖がらないようにしようと思うからますます精神に負荷がかかるのであって、恐怖は恐怖としてあるがままに受け入れるべきだという理論に基づいた治療法を確立した人。大正から昭和にかけて活動した人。

土井健郎は「甘え理論」を提唱した人として有名で、人は成長する過程で親に甘え、その甘えが受け取られ、許されることで精神を形成していくのだが、幼少期に甘えたい気持ちが満たされないと、甘えの行き先がなくなり、例えばそれが過剰なナルチシズムに向かったりする。なので患者を治療する治療者は、患者が不安なく甘えられるように対処し、正常な甘えを体験させる必要がある、というような治療法を実践した。

木村敏は「あいだ」という概念を提唱した人で、オーケストラが合奏している時とか、人と人とが円滑に会話している時に、その合奏や会話を成立させているのは個人個人じゃなく、人と人とのあいだにある何か大きな力だと考え、精神的な治療にもその「あいだ」を意識することが必要だと考えた。この「合奏」の話の感じはかなり保坂和志っぽい。あと木村敏は統合失調症と鬱と躁状態をそれぞれ時間軸として解釈しようとして、統合失調症は祭りの前、「何か大変なことが起こる!」という予兆の中で精神のバランスが崩れた状態で、突発的な躁は祭りの最中であり、鬱は祭りの後に自分が果たせなかったことばかりを拡大して悔いている状態だっていう風に考えた。

中井久夫について、著者はたぶん一番思い入れ強く書いている感じがする。やはり中井久夫は別格だという感じがする。例えば中井久夫は、「心のうぶ毛」という言い方をよくしていて、それは相手の表情の微妙な変化を読み取って言葉を選んだりするような繊細な配慮のことで、精神療法を行う上で治療を行う側は患者が「心のうぶ毛」を取り戻すように配慮し、同時に治療者もその「心のうぶ毛」で患者の変化を敏感に察知すべきだというようなことを言っている。繊細な手触りの違いをうぶ毛が感じるように、普段あまり意識しないけど「うぶ毛」の役割って相当重要なのである。そしてそれは心にもあるのだ。

また、統合失調状態にあった患者の治療を目指す姿勢について、中井久夫は「必要なのは多数者に従うことではなく、少数者として生きる道なのではないか」と書いているという。「社会に完全に適応できる状態を目指すのではなく、完全には適応できなくても、それなりに安定した生活ができるようになる地点を目指す」という。例えば、病気を患った人が、元の状態を目指そうと思ったら、そうならないことに苦しみや悲しみを覚えるだろうけど、そもそも最初からそこを目指さなくていいのだ。病気を経た後の自分なりの安定を目指せばいいのだ。この優しさ、そばにいてくれる感はなんなのか。

中井久夫が尊敬するアメリカの精神科医のサリヴァンという人が「面接者は自分自身の内部に起こる不安のわずかな動きにも敏感なアンテナを働かせて、次にくる過程が何かを予見する力を練習しなさい」と述べているという。

よく、「その気持ちわかるよ、そういう時ってあるよね」って言ったら「あんたなんかに私の気持ちがわかるわけない!」って怒られることがある。ことがあるっていうのは、そういうシーンをドラマやマンガや映画や小説で何度も見聞きした気がする。自分も、軽々しく他人に「わかるよー!」って言っていいのだろうかと思う時があり、だから静かにうなずくだけにしたりする時があるけど、考えてみたら「あんたになんか私の気持ちがわかるわけない」って当然なのだ。一人一人の内面は違って、想像することしかできないのだから、わかるわけがない。がんだと言われた母の気持ちを自分が何かの病気を過去にした時の気持ちをもとに想像したところで、母の本当の気持ちはわからない。だけど、自分の中にある材料から想像するしかないのだ。そうやって「今、悲しんでいるこの人の気持ちは、過去の自分のあれと近いだろうか、それともあれとこれの間ぐらいの気持ちかな」とか想像することが人間の限界で、だから自分は「お前に何がわかる!」って言われようとも、できるだけ、人の気持ちを分かるように、自分の感じたことをストックしておこうと思った。

14時ぐらいに若い女医さんがきて、母の腕に点滴用の針を取り付けた。母の腕はなかなか血管を探すのが難しい、難易度の高い腕らしく、若き女医さんは「あれ…うーん」とか言いつつ、とりあえずやって出ていって、で、それから30分ぐらいしてまた別の人がそこに点滴を取り付けるんだけどうまく点滴が流れていかない。で、「あれーなんでだろう」みたいになり、そこにちょうど主治医の先生がきて、その人は今日これまで見た医師たちの中で一番親しみを感じられるような雰囲気の人だったのだが、その人がよくみたら、ちょっと無理のある形で針が取り付けられていたようで、主治医の先生があれこれ調整してくれた結果なんとかなったらしかった。なんだか何を見ても不安なのは、自分もそうだし母もそうだったろう。最初の点滴が30分ほどかかり、その次は90分ぐらいかかるらしい。点滴が始まって、薬があわない人だと湿疹が出たり、心臓が苦しくなったりすることもあるらしいのだが、そういったことも無いようで、あとは今日は点滴が終わったら食事して寝るだけとのことだったので、そこら辺で自分と妹は帰ることにする。

「というか父は今日一人でどうするんだろうね。飲みにでもいくのかね」と妹と話し、連絡してみると、特に予定もなしとのことで、みんなで飲むことに。その予定だけ決め、一旦妹と別れて六本木へ向かう。ヒルズでやっている藤子不二雄A展に行ってみる。52階でやっている展示イベントで、展望料金もセットになっているからか、1800円と高い。エレベーターが上につくと、さっき病室で見た東京が今度は夜景になってさらに広く目の前にあって、写真を撮っている人がたくさんいる。

藤子不二雄A展は思ったより小規模で、原画などは少ししかない。写真を撮れるスポットがいくつもあって、そういうところを楽しむ内容みたいだ。複数人で来たらいいかもしれないが、自分は一人で、スタッフの人に撮ってもらうのも気が引けてサーッと通り過ぎるように見た。笑うせえるすまん、好きだったな。というか、藤子不二雄A、相当好きだった。「不思議町怪奇通り」という分厚い短編集を、たぶんあれはまだ小学生だったと思うのだが、親に買ってもらって、何度も繰り返し読んでいた。あの黒の濃さ。怖かったな。エロさもあった。そういう気持ちを思い出し、「藤子不二雄Aさん本当にありがとうございました!」という気持ちでグッズをあれこれ買う。

同じ券で、「カタストロフと美術のちから展」という、芸術が震災(3.11に限らず)に対してどう向かい合って来たかっていう感じの展示も見られるそうで、面白そうなので見る。だが、妹や父からメールがきてもう飲み始めるというので、時間がなく、本当に通り過ぎるようにして見た。堀尾貞治という人が阪神大震災の倒壊した建物や瓦礫を描いた絵と、なんか不安を掻き立てるヘルムット・スタラーツという人の絵が印象に残り、できるだけそれを長く見て「後で調べよう」と思って小走りに出る。

六本木から人形町へ日比谷線で向かい、一度部屋に荷物を置いて妹と父が先に飲んでいる「やわらぎ」へ。朝から緊張した母の入院だったが、こうして飲んでいると、なんか気持ちがほぐれる。母から連絡がきてないか妹に聞くと、LINEが既読になってしばらくしてから、2回目の抗がん剤で熱が出て39度ぐらいになったけど、それはよくあることらしく、解熱剤を飲んで寝ているという。食欲はあまりないけど大丈夫とのこと。まあとにかく無事でよかった。無事というか、ここから始まるのだろうけど。

昨夜実家で母が髪の毛が抜ける話をして、「お母さんなんか髪が黒々してることしか取り柄が無いのに…」と言っていて、その時は「はは、どういうことよ」と笑ったけど、なんか不器用で切ない言葉として記憶していて、でもそれを妹と父の前で話したら「わはは!」と笑い話になって、こうしてやはりみんなで話していると軽い、明るい気持ちになって良い。父が「また生えてくるんでしょうよ。俺なんかもう生えてこないんだから!がんじゃないのに髪がないんだよ!そういう人もいるんだ」と言い、その冗談にもなんだか切実なおかしみがある。しばらくして妹の旦那さんも仕事を終えてやってきて、4人で飲む。湯豆腐が旨い。近くに元気な会社員らしき集団がきてちょっと騒がしくなったのをきっかけに店を出て、日高屋でもう一杯。野菜たっぷりタンメンの麺少なめを父をわけ、ウーロンハイ飲む。

23時ぐらいに解散となり部屋に戻る。

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by chi-midoro | 2018-12-01 17:37 | 脱力
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