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ブラックニッカ日々 2018-11-30

眠りに眠って昼近くに目覚め、せっかく東京来たし、神楽坂の「龍朋」か、あるいは二郎系でもガッツリ食べて帰ろうかなと画像検索しているところに母から連絡あり。「お昼ご飯は藪そばで食べようと思っている」というので、ラーメンはいつでも食えるだろと気持ちを切り替え、浜町駅近くの藪そばへ。

俺はかしわ南蛮のそば、母はうどん。
ここはそんなに量が多くないので、母にはちょうどいいかもしれない。
旨い。これでよかった。
父の会社の会計仕事がバタバタ忙しいと話す母。今後、抗がん剤の治療をしていく中で「どうしても今日はダルい」という日だってあるかもしれない。そんな時に自分が休んでもなんとかなるようにしておこう、みたいな話をした。喫茶店でお茶して別れる。

水天宮駅前の大黒屋でムンク展の割引券(定価より100円安くなる)と、「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」の割引券(300円安くなる)を買う。これで今日は上野に行って一気に展示見てそれで大阪に帰ろう、と決めた。

晴れた冬の上野公園がなんかすごく心に染みる。
ムンク展をやっている東京都美術館へ入り、思ったより何倍も混んでいるのに驚いて、全部の絵をちゃんと最前列で見ようと思うと相当時間がかかりそうなのでスーッと後ろから見ていくスタイルで行くことにして、気になるのだけ近寄って見る。最初のコーナーでムンクがたくさん描いた自画像が時代ごとに並んでいて、なぜだかもうその一つを見ているだけで胸がざわざわして、涙が出てきそうになる。ムンクの母はムンクが5歳の時に亡くなっていて、姉が14歳の時に亡くなっていて、本人も病弱で、幼少期から死の気配が身近にあって、と、そんなのはムンクの評伝の受け売りだが、自画像の中に、世の中が思うようにならず、絶えず自分に圧をかけてきているような雰囲気が描き出されているように見えるのだ。

つげ義春の「夜が掴む」っていう心が不安定だった時期の作品で、部屋の外から夜が押し入ってくる描写があるけど、それとはまた別のバリエーションで、空気中に圧(「エーテル」とか、「気」みたいなものなのか、音なのか空気の体積なのか、なんでもいいんだけど)が漂っている感じで、それを自分が生きていることで押し返しているような。そんな風に見える。

そう見ていったら、ムンクの描いている風景が全部「思うようにいかないものの漲る空間」みたいに見えてくる。特に「星空の下で」という、グネグネした夜空の下、遠くには家の明かりが見えて、寒そうな外で身を寄せ合っている二人の人間が描かれているらしい絵を見ていたら、「自分たちにも善も悪も超えて降り注いでくる世界と、それを、そこに生きて存在していることによって必死に跳ね返している二人」っていう感覚が自分の中に広がって、それこそここ最近の母や妹のこととか、あ、そういえば、今朝、パソコンで銀行の残高照会したら1万5千円しか入金がなくて、となると、11月の月収がトータル5万円弱だったということになるのだが、そんな、自分の絶望的な経済状況にも反響して、「やばいこのまま見ていたら嗚咽してしまいそうだ」、ぐらいになってきた。

次の部屋で並んで「叫び」を見ているうちにその激しい気持ちは引っ込んだけど、そこからもムンクの絵の端々から、神々しいノイズに溢れた世界とそれを跳ね返す自分とか愛しい人っていう感じが溢れまくっているように感じられて、これまで何にも知らなかったくせにいきなりムンクが激烈に好きになった。「叫び」にしても「マドンナ」っていう絵にしても、同じモチーフを何度もバリエーションで描いていくところもいいし、すべての作品がつながっていて、並べ替えによって別の意味に見えたりするところを見越して描いているようなところも面白い。ムンクは80歳まで生きて、今日パッとみたところだと晩年に近づくに従って、風景に漂う圧、ノイズみたいな感じは減少して安らかになっていくように思えたけど、後の方の絵もそれはそれでいい。もったいないぐらい早いペースで見て、気の利いたグッズが色々用意されているのにまんまと引っかかって少し散財し、外へ出る。

もうそのまま、余韻にひたらずに「快慶・定慶展」を見に行く。そういうスピードで今日は見る。

国立博物館へ向かう途中、公園内にたくさんいる修学旅行中らしき高校生か中学生の男女混じった一団に、自転車に乗ったグレーのスウェット姿のおじさんが近づき「まゆ毛がふっといー、まゆ毛がふっといー」と歌って去っていった。そして歌われた生徒たちが驚き、一瞬間をおいて大笑いしているのが聞こえて、ふとそっちを見たらまゆ毛の太い男の子が上気した顔で、「先生!いま、知らない人にいきなり『まゆ毛がふとい』っていう歌を歌われたんですけど!」と言っていて、やべえと思った。グレーのスウェットのおじさんはそのままフラフラと自転車を漕いで向こうへ行って、今こう書くと笑えることに思えるけど、そういうことをいつもやっている人だとしたら怖い。

国立博物館の平成館に近づいていったら、なんと今ここでデュシャン展もやっていることに気づく。昨日ハナイさんが「今デュシャン展もやってるよね!『泉』が来てるんだよ日本に」と言っていて、それも見てえなと思っていたのだ。ちょうどいいからもう今日はそれも見る。

まず、「快慶・定慶展」へ。京都の千本釈迦堂にある仏像が一同に集められたもので、ずーっと昔にそこに仏像を見に行った記憶があり、そして結構感動した覚えあり。「こんな仏像だったっけ」と思いつつ、そして「寺で見た方が迫力あるだろうな」と思いつつも、美術館ならではの、背中側からも見られるというアングルを味わう。特に、快慶が作った十大弟子像がヤバくて、特にその中の、今はもうどれがそれだったかわからないのだが(目犍連という弟子像だったかも)、丸めた背中に背骨のコツコツと隆起している感じとか、背中についた筋肉のすごい微妙な表現にめちゃくちゃ渾身の力を入れているものがあり、「これは絶対に背中から見られることを意識してた、じゃなきゃここまでしない!」と思う。背中からそれを見ることができる人は、寺の関係者とか限られた人しかいないわけで、これを作った快慶は、この背中の表現を誰に伝えようと思ったんだろうかと思う。それともそういうことじゃないのか、誰に見られようと見られまいと自分の思うリアルさを完全に追求することが快慶がしたかったことなのか。

でもその気迫はすごいし、完全に神がかった技術なんだけど、その後の定慶になると自分はあんまり興味がわかなくて、フィギュアっぽく思えてしまう。「家にあったらどんなだろー」ぐらいのバカな感想しか浮かばない。技術は明らかにすごくて、向上しているぐらいに感じるほどなのに、何かが無い。自分の好みの話だけかもしれない。

展示の最後、定慶作の「聖観音」という仏像だけ写真撮影OKになっていて、みんなが囲んでスマホで撮っている光景がちょっと面白い。

そこを出てそのまま向かいのデュシャン展の会場へ。デュシャンのことは、美術史の転換点みたいなイメージでしか知らず、「確かに便器を最初に展示したっつうのはすごいけど、発想が面白いだけで、ものそれ自体が面白いわけじゃないよな」という感じで、全然真剣に考えたことがなかった。

展示も、まずデュシャンが初めに描いていた印象派的な油絵は割と普通で、その後のキュビズム時代も、「階段を降りる裸体」というのは絵としても迫力があったけど、あとはザ・キュビズムな感じにしか見えなくて、ガラスの作品も、作品自体、見てて楽しい感じでもない。やっぱり、思考する楽しみっていうことなんだろう。「階段を降りる裸体」は、裸の女性が階段を降りてくるその運動を平面に書きとどめようとしたもので、止まっているものに映像としての情報をブッ込もうとするその過激さは最高だし、やっぱり「泉」も、見てみると笑えた。本当にあの、写真で見た通りの便器だ。近くで見ると味がある、あんまり不潔な感じはしない。触りたいってほどじゃないが。それをやるっていうところまで考えを進めるのに、通常100年ぐらいかかっておかしくないところをデュシャンはどんどん考え進めていく。それはすごい。もし、物体としてのすごさがある作品がもっとあったら、もっと俺はデュシャンが好きだったと思う。でも、作品はいくらでも複製可能なものであると考えて、自分の代表作のミニチュアをカバンに入れて移動式美術館みたいにするところとか、本当に最高にかっこいい。でも……と、デュシャンについては「うーん、でもすごい、でもなんか、いやー」みたいに「すごい!けどなんなのよ!」みたいになってしまう。「デュシャンは芸術をやめて最近はチェスの王者を目指しているらしいよ」っていう噂を自分から広めようとしたところとか、なんとも憎らしいほど面白い。そんで実際チェスの腕前はすごかったそうである。

一定の評価を受けつつも世間的には過去の人となったデュシャンが実は遺作として、「1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ」っていうのを作っていて、それはドアから小さい穴を通して鑑賞する体験型の作品で、それが死後に公開されるって、どうだ。完璧すぎてなんか憎らしい。実物はなくて、映像が流れていた。実物が見てみたくてたまらなくなる。

ものすごいスピードで見たつもりだが、それでも予想以上に時間がかかり、もう夕方だ。ショップで「泉」のポストカードと、十大弟子像がバンドメンバーみたいにかっこよく並んでいるポストカードを買って急いで上野駅を目指す。日比谷線で人形町、部屋で急いで荷物をまとめ、母と父に「また来るわ」と声をかけ、水天宮前⇒大手町⇒東京と乗り継ぐ。

ポケモンショップでカードを買って来てくれとボーイズに頼まれており、それを探すも売り切れていて無いという。諦め、崎陽軒のシウマイ12個入りのやつを買って新幹線に乗り込む。酒は部屋の冷蔵庫に妹が入れておいたと思われるプレミアムモルツを1缶持ってきてある。

荷物が重すぎて汗だくになり、席をとるなり、Tシャツになってビールを急いで飲んで、飲み込むようにシウマイを一気に食べ切り、たまっていた日記を書く。

そうしているうちに新大阪に到着。ポケモンカード売り切れの知らせにボーイズが泣いてしまい、仕方ないので梅田で途中下車することに。ヨドバシカメラに行ってみたがここも売り切れ。何の影響なのかわからないが、今どこも売り切れているんだという。疲れ果てて帰宅。

東京でもらってきた「龍上海」のラーメンを急いで作って食べ、風呂に入って一旦寝て起きてまた日記を書く。

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by chi-midoro | 2018-12-02 04:17 | 脱力
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