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ブラックニッカ日々 2019-02-07

昨日のダメージの中で目覚め、
起きてみては、やっぱりダメでまた寝転がり、横になっているのも辛くてまた起きて、みたいないつもの時間。

昨日、千林大宮の商店街の韓国食材を扱う店で買った袋麺を昼ご飯にする。
辛ラーメンほど辛くなくて、でもエッジの立った味なので適当に野菜を入れても美味しくなる。

平民金子さんのコラムをパソコンで読んでいたらフェリーニの「アマルコルド」のことが出てきて驚いた。
まさに今、ゲオでレンタルしたDVDが床に置いてあるのだ。
なかなか気が進まなかったが、これは何かの運命。見よう。
と、見る。
フェリーニの映画を自分は見たことがなくて、今回なんで借りたかというと、アマルコルドっていうタイトルが目に入って、高校の頃好きでよく聴いていた「Spiral Life」というバンドの「GARDEN」というシングルのカップリングの「CHEEKY」っていう曲の歌詞の中に、「二人でみたアマルコルド」っていう一節があって、最初それがなんのことなのかわからなくて、ネットで検索とかできるようになった時代に調べたら映画の題名だということがわかり、わかったからといってすぐに何かするでもなく、「へえ」と思いながら過ごし、でもいつかタイミングが合ったら見たいと思ってはいた、でも面倒くさそうだなと思ったりして、それがふとタイミングがちょうど今!という感じになって借りたのである。ちなみにその「CHEEKY」という曲は、仲良く過ごしていた恋人同士がどうやら別れてしまったらしい切ない曲調の、なんか泣ける曲で、それも好きであった。

そしてみた「アマルコルド」は、フェリーニの青年時代の実体験がもとになった映画らしいのだが、それは後で調べて知ったことであり、見ている最中は、終始「なんなんだこれ!」という感じ。冒頭、舞台になっているイタリアの小さな町に綿毛が舞い、どうもその綿毛が舞うと、冬が終わって春になるらしいのだが、一人の人物がカメラを向いて「この町では綿毛が舞うと冬が終わるのです」みたいなことを言う。ちょっと前にみたウェスアンダーソンの「ムーンライズ・キングダム」という映画でも同じように、まるで町のプロモーションビデオかのように、いきなり雄弁にカメラに向かってしゃべってくる人物がいた。

で、その街ではどうも魔女狩りがルーツかと思われるような祭りがあって、広場で薪を一杯くべて魔女の人形とともに焼くっていう豪快かつ粗野なもので、町の人たちも踏んで鳴らすタイプの爆竹をバンバン鳴らしまくり、なんか、祭りのかげで一人ぐらい死んだって仕方ないぐらいの狂騒状態となる。怖い程である。その場面の中で、どうやら学校に通っている素行の悪い生徒集団がいて、そいつらが、おめかししてその祭りに来ているグラディスカという女性に憧れ、憧れつつもからかっているようなことがわかる。そのグラディスカがまた、今の感覚からしてみると結構妙齢な女性で、青年たちが「魅力的!」と思うには少し年上過ぎるように思えるのだが、そもそも青年たちを演じる役者たちもなんか年齢もバラバラで、また全員顔がなんだか生々しい。いわゆるイケメンでは全然なく、むしろかなりわざと醜悪に描かれているような、見てて気持ち良いようなやつらでは全然ないのである。

その学校の個性的な先生たちが、さくらももこのデビュー作の「教えてやるんだありがたく思え!」みたいに、歴史の先生はこうで、数学の先生はこうで、と次々に登場するのだが、その描かれ方も本当に下品でドギツい感じで、終始「なんだよこの映画」という思いを抱きつつ見ていくことになり、なんだけどなんか面白い。主人公らしいと徐々にわかる青年の家族たちはみんなコミュニケーションがうまくいかず、父は血管切れるんじゃないかというほど絶えず怒鳴り散らしているし、それを一切気にせず、淡々とまずそうなご飯食ってるやつがいたり、そんでその家族に、精神的な病で病院に入れられている親戚がいて(父の弟らしい)、病院にみんなで馬車で迎えにいって、半日ぐらい外出して食事するっていうんで行くのだが、一見ニコニコしてだいぶ正常に見えるその親戚も、おしっこするのにチャック下げ忘れてズボンがずぶ濡れになったり、目を離した好きにデカい木に登って「女が欲しい!女をくれー!」と何度も何度も絶叫したり、全然思うようにいかない。

というかこの映画の中では終始、全部が全然思うようにスムーズに行かない。

でもその中で、鳥肌が立つような見たこともない美しい光景がなんども出てくる。平民金子さんがコラムに書いていた、アメリカの巨大な客船が来るというのを町のみんなが船に乗って見に行くシーン、その、夜の闇の中に船が急に現れて、グラディスカが泣いて投げキッスしてるシーンのよさ。あと、町が急に数日に渡って雪に降られ続けて真っ白になり、そこにクジャクが突然舞い降りてくるシーン。

めちゃくちゃふくよかで、主人公たちからはセクシャルな対象として見られているらしいタバコ屋の女性(上沼恵美子に似ている)を主人公が「あなたを持ち上げられるよ」つって、持ち上げたりおろしたりを繰り返すうちにいきなり二人ともハイテンションになって、タバコ屋女性が乳房をいきなり出してきて「吸って!」というんだけど主人公はどうしても吹いてしまう。「吹くんじゃない。吸って!もういい!バカ!」みたいな、なんだこのやり取りみたいなシーンすらもなんか頭にこびりつき、わけわかんないまま、最後、グラディスカがこの町を離れて嫁に行く、その結婚パーティを野外でやっているシーンで、町のみんながそれぞれ思い思いに過ごしていて、最後はみんなどこかへいなくなってしまう。その感じがなんかめちゃくちゃよくて、人生ってこういうとっ散らかったものだよな、と強く思った。

映画でも漫才でも、例えば「カメラを止めるな」みたいな、気持ち良く伏線が回収されるのが今っぽいような気がするが、伏線が回収されるなんて、なんかものすごく小さなことなんじゃないだろうか。というか人生があまりに思うようにならなすぎて、せめて人間は創造物の中でだけ伏線を回収したがるんじゃないか。目の前にある人生の中では伏線なんか全然回収されず、仕事でめちゃくちゃ大変な時に、重い病気が見つかり、そんな時に宝くじで5万当たったり、みたいな、めちゃくちゃな、砂嵐の中のような状況ばかり。それを後から振り返って、「今思えばあれはああいう風に今につながっている」と思うのは、人間がそう思いたいだけで、実際の人生はこの「アマルコルド」のように断片的で拡散的で、散り散りバラバラなものなのだ。だがその中で、心に残って忘れられないほど「なんか良い一日」が訪れることがある。そんなラストシーンなのだ。

うおー!次はどうなる!?みたいな映画じゃないし、見てて疲れるのだが、とんでもないものを見たという気がする。そして改めて考えてみたら「Spiral Life」の歌の中のカップル、この映画みてどう思ったんだよ!と思う。フェリーニの他の映画をどんどん見たい。ゲオにあんのかな。

原稿書き、夜は餃子と白米。
早めに寝てまた起きて仕事。

by chi-midoro | 2019-02-09 11:10 | 脱力
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