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ブラックニッカ日々 2019-02-08

14時から福島で仕事の打ち合わせの予定。
福島駅といえば、旨いラーメン屋が色々ある。
よし!早めに出て食べ行こうー!と思って体重計に乗ったら、自分としてはそこまで増えたくないぐらいの重さになっていて、諦める。家にあった袋麺を具なしで食べることにする。

ちょうど間に合うぐらいに家を出て、途中、駅前のコンビニで請求書をプリントアウトしてハンコ押してそのまま投函できるように、一式用意して行ったのだが、コピー機に10円入れろと言われた時点で財布を忘れてきたことに気が付いた。今から家に財布を取りに行ってまたここまで戻ってくるとしたら打ち合わせに少し遅れる可能性もある。待てよ、もしICカードに福島までの往復の運賃に足りる残額があるなら、もうこのまま無銭で行っちゃった方がいいな、と思った。先方の会社での打ち合わせなので何かお金がかかることもあるまい。と、駅の券売機でICカードの残額を見たら500円以上入っている。これなら福島まで行って帰ってこれる。

そしてそのまま改札を通り、福島駅で下車。打ち合わせ先のビルの下に着いたのが約束時間の15分前だ。なんだ、時間結構余ったな。まあいいや、つって立ち読みして、ああ、今このちょっとした空き時間、ここで金さえあれば請求書プリントして投函するぐらい簡単なのによ、と思って外に出てみたら地面に10円落ちてた。

それを拾い、請求書をプリント、捺印し、持ってきていたノリで封をする。封筒に住所も書いてあり、切手も貼ってある。しかも目の前にポストがあり、またたくまに投函完了!落ちてるもんだな、10円ぐらい。

そしてちょうど打ち合わせ時間となり、ビルの一室で今度依頼してもらう仕事の話を聞く。
自分にしてはありがたい金額になりそうで、とにかくなんでもやります状態。
1時間ほどで話し合いが終わり、まっすぐ帰宅。

ボーイズを水泳教室に送り、ゲオにDVD返しに行って、とあっちこっち駆け回って1時間半ぐらいかかった。
スーパーで食材買って帰宅。久々に鍋。

最近図書館で借りて読んでいる医学書院の「ケアをひらく」シリーズ、中井久夫「こんなとき私はどうしてきたか」を読み終える。この本、前に読んだことがある気がする。でも忘れているものだ。忘れているっていうのは細かく覚えてないっていうだけで、根本的な姿勢みたいなものはずっと残っている。

中井久夫さんの本を読むといつも心が落ち着く。自分がどんな苦境に立とうと、死に瀕しようと、「そういうこともありますよ」とそばにいて言ってくれそうな、寄り添うような落ち着いた文章だ。
心に残った部分メモ。

この本は中井久夫さんが自分が精神医学にかかわってきた上での経験について大学で講義したもので、医学関係者向けのアドバイスでもあるのだが、自分のような門外漢にも身近に感じる内容だ。

・患者で「独り言をさかんに言ってしまう」という人がいても、それはきっと考えを整理するのに役立っている、と言うようにしている。言葉は幼稚園の子を一列に並ばせる保母さんのような働きをする。中井先生は恥ずかしい考えが頭に浮かぶとそれをなだめるように「パピプペポ、パピプペポ」と口に出したりすることがある。
・精神科医の神田橋條治さんは患者の話を聞く際の相づちの「ほお」が500種類出せるという。それは大げさかもしれないが、相手の気持ちを汲んで出る「ほお」はその都度微妙に違う。
・患者が「楽しかったことなんて一つもない」っていうのは大抵その時がつらい時なのであって、快方に向かうと楽しいことを思い出すものだ。人は幸福かどうかにかかわらず「楽しいこと6、中立的なこと3、嫌なこと1」を思い出として持っているもの。
・目には威圧的な力がある。精神科医のサリヴァンは目をつぶって診察したという。対決的に人の顔を見なきゃいけない場合も、鼻の根もとぐらいを見ておくのがいいものだ。するとこちらにも心のゆとりが生まれる。
・中井先生はいつも敵があっても相手にしないで、味方を増やすことを考える。敵にかかわらず、外に出て見方を増やす。
・病気から回復する過程は、登山ではなく下山に似ている。登山のようなハイな達成感はなく、「日常に戻っていくのか、嫌だなー」と思いながらゆっくり下っていくのが回復だ。無理せずゆっくり、一気に帰ろうとせず。
・精神科医は患者の驚くべき病的体験よりも、友達と映画を見に行った話や喫茶店に行った話の方をより親身に聞こうと思わなくてはならない。
・中井先生の患者が自殺してしまったケースも10数例ある。その中で最終的に自殺してしまった患者の足跡をたどったら、死ぬかどうか迷いながら行きつ戻りつした形跡があった。もしかしたら、やっぱり生きようと一度は思って、そこから自分が戻ろうとする日常を見た時にそこに高い壁を感じたかもしれない。

って、読んでいくと、とにかく中井先生が患者の側にできるだけ立ち、そこから世界がどのように見えるかをいつも考えていることがわかる。精神科医の管轄に限らず、病人はいつだって不安で心細く、医者の言ったことを神の啓示のようにずっと覚えていたりする。自分が昔、親知らずを歯医者で抜くという時に、ゴリゴリと主治医が歯を抜かんとしている時、傍らで看護婦さん(50歳ぐらいの方だった気がする)が、俺の肩をずっとポンポンと軽く叩いてくれて、それですごく恐怖が和らいだ記憶がある。

危機に面した人に他人ができることは実は結構少なくて、いくらそれらしい言葉をかけてもそれで救われることはなくて、それよりもただ横にいて、手を握ったり、体にトントンと触れてくれたり、それが一番大きいことなんじゃないだろうか。自分が病んだり、その結果、死ぬことになった場合を想像してみると、とにかく、「うんうん、そうだね」と、優しい眼差しをもって横にいてくれればそれでいい。というか人間が他人にできることはそれだけなんじゃないかとすら思う。中井先生の本を読んでいると、いつもそばにいてくれる人、という気がする。

そして、他に借りていた、やはり「ケアをひらく」シリーズの上岡陽江+大嶋栄子「その後の不自由」も読み終える。著者の上岡陽江さんは、自身が薬物依存の経験者で、同じような薬物依存だとかDVだとかの被害を受けた女性に更生を促すダルクの主催者でもある。その視点から、人生が思うようにならず、深く傷つき、でもなんとかそこから這い上がろうとする人を見てきた、その経験を踏まえて書かれたのがこの本で、中井先生の本と響き合う点も多い。

回復というのは必ずしも安定を目指すものじゃない。とか。精神の病でも、身体的な病でも、病気になってそこから回復するっていうのは、健常なイケイケを目指そうと思うと、そうならなかったときの落胆が大きい。むしろ不安定状態を自分でなんとなくコントロールできるようになるのがゴールなのだ。特に心の病を経験した人は、回復した後の「なんとなくの寂しさ」みたいなのに耐えられないとよく言うらしい。でも人生ってそもそもなんとなく寂しいものなのだ。そう思うと楽になる。

印象に残った部分メモ。

・DVなどの被害者は自分が相手に暴力をふるわせてしまった、と思いがちで、加害者は反対に、むしろ自分こそが被害者だ、と思いがちだ。実際に加害者が被害者であることもある。逆もある。
・苦境を切り抜けて生きようとするときに、一般的な人々を目指すと、そうなれないギャップに悩むことになる。薬物依存に陥った自分を否定せず、そうやってしか生きられなかったんだと前向きに肯定した方がいい。
・自分が相手に否定されたという経験に深く傷ついた人は、新たに出会った相手にも「またどうせ自分を拒否するんだろう」とあえて相手が嫌がることをしてしまうようなケースがある。

この本に書かれているのも、著者がダルクに来る人とのやり取りの中で得た実践的なアドバイスみたいなことが中心なのだが、これもまた他人事という感じがしない。というか人間は、いつか必ず病み、死に直面し、幸いそうはならなかったとしてもいつだってドツボにはまることがあるのだから、そこから回復することや、落ち込んでいる相手をケアすることは日常的に身につけておくべき知恵なんじゃないかと最近よく思う。

文末に岡田哲也という人の詩が載っていた。

「霧が晴れるとそこに あなたがいたという 霧が晴れるとそこに 道が表れたという いえいえ そうではありません 霧にとざされたその時も あなたは待ちつくしていたのであり 道は通じていたのです」

絶望せず、しなやかに、時には軽く踏み外しつつ、ヨタヨタと、生きるしかないのだ。

by chi-midoro | 2019-02-09 14:13 | 脱力
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