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ブラックニッカ日々 2019-07-28

京都アニメーションの放火について橋下徹がテレビで「一人で死ねって言っていかないといけない」と言っている動画をみる。
別のコメンテーターの人が「それは言い過ぎです」と返すと「じゃあ他人に迷惑かけていいっていうんですか?」「そうはいってません」「いや、そう言ってるのと一緒ですよ!」といういつもの詭弁っつうか、まるでそれしか選択肢がないように勢いで見せるだけのあれだ。

橋下徹がこういう「ぶっちゃけ言いますよ」っていうスタイルでやってきたことがきっとすごくある層の人たち(そういう人たちの多くは、嫌だと思いつつ真面目に仕事して、それでも生活は楽ではなく、だから胸がすくようなぶっちゃけた発言を求めているのかもしれない)にウケて、ツイッターなんかでもそうだけどどれだけ過激なことを言ったって、とにかく多くの人の目につけば、必ず何人かは賛同者がいる。

その賛同者がいる限り、その人らに向けて発言して後はバカって気持ちで走り続けられる。それが百田や高須やホリエモンのツイッターの感じを生んでいると思う。

大阪に引っ越してきて最初の方に見たテレビで、たむらけんじがギャラをぶっちゃけます!みたいのがあって、CMを挟んで引っ張ったりして、最終的には「〇〇が買えるぐらいの額ですよ」ぐらいに濁していたんだったと記憶するけど、自分もCMを待ってそれを聞いたんだから同じようなものだけど、見終わった後に、いやしかし、こうやってぶっちゃけていくのってなんか品が無いような気もすると思った。なんでもいう、恋人との赤裸々なやり取りを面白おかしく言うとか、なんか、そういうのを求めてるムードがあり、それと維新の会の方向性が一致したということも今の大阪の感じにつながっていそうだ。

ぶっちゃけはこれまで地味に守られてきたものを破壊するような爽快感があり、真面目な人をバカにする優越感がある。吉村洋文が慰安婦象設置をめぐってサンフランシスコとの姉妹都市を破棄したのも、「こんなのね、ぶっちゃけ、やめてしまえばいいんですよ!」っていう感じがする。それに対して「そうだそうだ!」という人もいる。

ささやかなこと、一見地味でそのかわり時間をかけて守られてきたようなものを、今自分が時代の先端にいるみたいな気持ちを持ったやつらがぶっちゃけで破壊していく。

植松という人が知的障がい者たちを「生きてる意味がない」という理屈でたくさん殺したのだって究極のぶっちゃけなんだと思う。極論とその反対の極論の間にあるたくさんのグラデーション、一番大事なそのしなやかな部分がカスカスになってきている時代なのかもしれない。昔自分が病気して痩せた時、筋肉が減るといきなり体が痛くて動かなくなった、あの感じを思い出す。

今日は天気がいい。

おととい岸さんが「図書室」の表紙の写真は毛馬のこうもんのあたりで撮ったんですと言っていて、そこに今度行って記念写真撮って来ようと思っていた。それをやることにし、昼ご飯買いがてら自転車でいく。

自分がいつもいくあたりより少し中津寄りの方だったけどすぐその場所が見つかり、肩からかけていたバッグにスマホを寄り掛からせて自分も入れて写真を撮る。

自転車に乗ってたら、その辺を走っていた人に「こんにちは!」と声をかけられてびっくりした。誰だったんだろう。

コンビニでカップ麺とピーマン買って帰り、ピーマン刻み乗せラーメンを作る。

あとはずっと仕事。

片付いたところでメテオさんから話を聞いた「半グレ」のドキュメントをみる。
今の半グレは昔のヤクザとも違い、組織化されてなくて一個の犯罪ごとに関わるメンバーが違ったりして実態がつかめない。
みんな見た目もキレイめというか、ちょっといかついホストみたいな感じで、ヤクザみたいにシャバと切れた存在っていう感じを背負わないスタイル。
カジュアルに、罪の意識だけがゴソッと無い感じで、でもおそらく本人たちに言わせれば本人たちなりの理屈があるんだろう。
「金ないと生きてても楽しくないじゃないっすか」とか「暴力はふるってない、ちょっとお金をもらってるだけ」みたいな感覚なんじゃないか。自分の正直に良ければいい、どうせ死ぬんだしさ、という感じ。

爆笑問題の太田がテレビで、それは確か川崎で起きた通り魔事件についてだったと思うのだが、「自分の命を軽いと思ってる人にとっては他人の命も軽い」というようなことを言っていて、そうだ!と思って印象的だった。

半グレの感じも、自分たちがすごい刹那的な存在に思えてるから、ちょっとやそっとの悪いことぐらい、ねえ?ってなるんだろう。最悪、死んじゃえばいいんだし!っていう。

その最初の自分の命の重さをみんながちゃんと自分で持っていられるようにするには、でかい木を育てるぐらい地道に、時間がかかることで、それはもう今から間に合うものなのか、とにかくすぐにはどうにもできないもののように思える。教育ということなのか、文化なのか、今はもう自分もあまりそういうものが信じられないような気がしてきている。

なんでかわからないけど、もうこんな時代になってしまった。
たくさん素晴らしい本とか映画とかあったはずなのに、結局そういうものに世の中をよくする力は無かったんじゃないかと、気持ちが暗くなる。

by chi-midoro | 2019-09-04 11:08 | 脱力
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