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ブラックニッカ日々 2020-04-26

一度夜中に目が覚めてまた寝て9時半頃起きる。
昨日の鍋の残りが朝ごはん。

昼、カレーチャーハン。
「突然容体が急変」っていう言葉に怯え続けている自分は毎回これが最後の食事かもとチラッと思う。
「最後に食べていたのはカレーチャーハンで、それだけじゃ足りないと思ったのか、舞茸となんかの野菜を炒めたものを食べていたんですが、それがすごく見た目的にマズそうでした」と語られたら嫌だなと思うような見た目のものを食べ終え、15時から17時頃まで昼寝。

今日、下のボーイの誕生日で、いつも行きたがる焼肉屋さんに行けないなと思っていたら、その店に貼り紙がしてあって「20%オフで肉をテイクアウト販売しています」とある。それで事前に電話して注文してあったのを受け取りに行く。

自分が行くと、ちょうど同じようにテイクアウトしてお金を払っている若い方が一人、店内を見ると店内で食事しているグループもチラッと見え、お店の人々はマスク姿で甲斐甲斐しく働いていた。

自分は本当に都合よく、こういう「元気に動いている人」を見て平静をたもってる。
外に出るの億劫だし、あんまり無目的に出ちゃいけないんだろうと思うけど、やはり人が元気そうに歩いているのを見ると、励まされる部分がある。

肉を買って帰る短い帰り道に淡路島産の野菜を売っている場所があって、そこは普段はワインバーをやっているはずなのだが、こういう時だからか、直売所みたいになっている。昼に使ってしまった舞茸をホイル焼きにして食べたいと思って書い足そうと思っていたのだが、ちょうどよくその店に舞茸が売られていた。240円。スーパーで買う倍するが、いいものっぽい。

買い出しについてきたボーイが、たまに遊びに行っていた友達の家(一軒家)の前を通り、「〇〇くん元気かな。会いたいな」と言う。
「また遊べるよもうすぐ」と言いながらそのまま歩き続けていたら、「あの窓の部屋にいるかもしれんから名前だけ呼んでみたい」と言う。「いやいや、それは迷惑じゃないかな、まあでもいいか、呼んでみるだけ」と言って、少し引き返し、窓の下から小さな声で名前を呼ぶ。

しばらく待ってみても反応なし。もし今あの窓がガラッとあいてその子が出てきて手を振ったら泣いてしまいそうな気がして逆に怖い。
「行くかー」と歩き出そうとしたら、買い物に出ていたらしきその子とお母さんがちょうど戻ってきた。
「お元気ですか?」と一声交わし、手を振ってもらって帰る。
しばらく歩いたら、向こうから大きな声で「お誕生日おめでとうー!」という声がして、だいぶ遠く、小さく見えるのにまだ手を振ってくれている。

小雨が降ってきて急いで帰る。

鉄板を出して肉を焼いて食べる。
スーパーで奮発して良い肉を買って焼いて食べたことがあるけど、それよりもっと肉が全然うまい。
焼肉屋さんの肉ってやっぱちょっと違うんだな。
タン食べてハラミ食べて、淡路島の舞茸食べてどれも旨くて、もう最近弱ってるからかまた涙が出そうになる。

とりあえず今日の夕飯までクリアできてよかった。
ケーキ食べて、ゲームして寝る。

東京の感染者数が2桁に戻ったと報道。
大阪もだいぶ少なかったみたいだ。
だがそれは検査数がそもそも少ないからで、実際ニューヨーク市で抜き打ち検査したら公表の10倍ぐらいみんなすでに感染しているかもしれないことがわかり、面白いのはそれが朗報とされていたこと。つまり、みんなそれぐらい気づかずにかかってなおってるんだから致死率は考えられているよりもっと低いし、集団免疫を獲得する日も近い、と。

で、集団免疫が獲得されるか、つまり抗体というものができるかはまだわからなくて、できないことだってあり得るし、中途半端な抗体が、2度目に感染した際にさらに重症化させる原因になるという型も、他のウイルスではあるんだという。

それに、気づかずに10倍もの人が感染していたっていうこと自体は怖いことのように感じるのに、でもそれは朗報のようにも響く。人はすでにとんでもない数亡くなっているのに。その不思議さ。とにかくその都度、不幸の中にも良い兆候を見出したいという気持ちはわかる。

ウイルスってなんなんだ。自分はスピリチュアルな考え方が苦手だから、考え続けないといけないことをスピリチュアル的解釈でスキップしたり、思考停止したりしないようずっと気をつけていたいけど、こんなにもわけのわからない、人によっては「神の意志」「自然界の復讐」みたいにすぐ言えてしまいしまいそうな謎のものに人間がまるごと翻弄されている。なぜそういうものが存在して人間にダメージを及ぼすことがあるのか、自然淘汰の法則みたいなものもあるんだろうか。

すました顔で現代人気取りでいたのに、こんなことに足元をさらわれる。つうかそもそも地球に生きていること自体がものすごいあやふやなことで、こんな時にも地面が急に揺れたりもする。この時代の後、芸術が元気を盛り返すことがあるのか、いつなのかわからないけど、このみんなが感じた叫びたくなるような強い不安が、そういうものに影響しないはずはない。100年ちょっと前の「スペイン風邪」では、クリムト、エゴン・シーレ、村山槐多、関根正二が命を落とした、と今検索したら表示された。その時代の人たちはどういうふうに過ごしたんだろう。

今日、買い出しに行こうと外へ出たら家の前の広場に子どもたちがすごくたくさんいて、3年から6年まで、見たところ近所の小学生たちがだいたい学年ごとに集まっていたようなのだが、もうこれ、この数なら「青空教室」みたいなのが出来そうだと思った。あと先生さえそこに現れれば「はい!みんな授業始めるぞー!」って露天の授業がスタートしそうな。

実際この辺でも、遊んでいた子どもたちが高齢者にイヤミ言われるみたいなことがちらほら起きているようで、確かにまあ、どこかでなんとかしなきゃいけない部分が出てくる問題だろうけど、とにかく今回のウイルス、今のところ幼児たちにそれほど重症例が多くないことだけは、ついスピリチュアルに神に感謝したくなる。

ホフディランの歌で「POP」っていう曲がすごい好きで、「少し前まで子どもだった大人が僕の住む国を動かす 少し前まで歩けなかった子どもが あっという間にぶち壊す」っていう歌詞で、皮肉っつうか、いきなり現れたやつらが歴史とか無視してどんどんやっていくっていう怖さについても歌っている歌なんだろうけど、とにかく軽快な歌で、そいつらがどんどん世界をポップにしていくっていう、そこにちょっとマゾヒスティックな希望を感じる。

きっとそのうち、「そういうのはよくない。社会っていうのは持ちつ持たれつっていって」とかいう大人の前に「それさ、コロナ前の話ですよね?」って言い放つ新世代が現れ、世界を新しくポップにしていく。

by chi-midoro | 2020-04-27 05:39 | 脱力
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