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ブラックニッカ日々 2018-12-7

朝、体が重いが熱は下がった気がする。
なんとかなりそう。
午前中に下のボーイの学芸会をみて、
昼はリンガーハットのカップ麺。

夕方、梅田へ出る。
上のボーイが誕生日で、この前体調不良でダウンしたリベンジをということで安いバイキングへ。
そこそこの味。こういう店のそこそこ感はすごい。
ヨドバシカメラで母にもらったボーイ用の小遣いで「スマッシュブラザーズ」のソフトを買う。
今日がちょうど発売日で長蛇の列。そんなすごいものなのか。

帰宅し一旦寝て起きて仕事。
シカクのメルマガ書いたりする。
夜半、一旦疲れて休憩、と思ったまま寝る。

今村夏子「こちらあみ子」を読み終える。
「こちらあみ子」「ピクニック」という中編と「チズさん」っていう短編の3つの小説が入った本で、
3つともに通じる部分がいくつかあって、それはまず、軸となる人物のピュアさ。
そしてそのピュアさは大抵、世間と折り合いがつかない。
折り合いがつかないので本人も色々苦労し、周りを無自覚に傷つけたり、
何かに巻き込んだりもしている。
そして3つの小説とも、軸となる人物が身体上か精神上かに常に何か負荷がかかっている。
大ケガしてる、とか、幻聴らしきものが聞こえてる、とか、
2つ目の「ピクニック」の主人公の「七瀬さん」が、恋人らしき人の落としたケータイを川の底から探そうとして、
毎日ドブ川をさらってるのだが、そのぬかるんだドブも負荷だ。
そういういえば、「こちらあみ子」の冒頭も、足をとられるほどのぬかるみの描写があった。
それがまさにこの3つの小説を貫いている、ままならない感じ、体が思うようにスムーズに動かせない感じ、を象徴している気が、いましてきた。
途中でベケットの「モロイ」を読んだ時のことを思い出したのも、ぬかるみに足をとられて動けない感じから連想したのかも。
とにかく、登場人物たちは、ピュアに突き抜けて行動したいといつも思うのに、ままならぬものに足をとられてズブズブ沈んでいく。自分はそれが意地悪く感じ過ぎて、なんというか、作者の作意が強すぎる気がして「こちらあみ子」の途中ぐらいから少し心が離れてしまった。あみ子が「のり君」に恋するシーンは最高で、そこだけで泣いてしまいそうだったが、「あみ子」のピュアさに俺もついていけなかったということなのか、執拗に継母を傷つけるところも、そこにまた傷つき過ぎてしまう継母にも距離を感じた。なんか少し、作者が登場人物に対してサディスティックに振る舞っているように見えるなんだよな。なんか、苦難にあわせたがりというか…。

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by chi-midoro | 2018-12-08 11:28 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-12-6

朝、具合悪くて目が覚める。

トイレに籠り、寝ていても苦しくて、うめいているうちに気づけば寝ていて、体の節々が痛い。
パブロン飲んで布団をかぶりまた無理矢理眠る。
昼過ぎ、なんか食べられそうな気がしてカップラーメン食べたのが愚かで、
また気持ち悪くなって横たわる。
寒気はするが夕方にはなんとか起きあがれるぐらいになって仕事。
夕飯はおかゆにする。
おかゆ旨い。旨いけどおかゆ食べることにより、いよいよ病人気分。
熱い風呂に入り、一旦寝てまた起きてもう少し仕事。
2時半頃終わる。

今村夏子「こちらあみ子」を読んでいる。
主人公の「あみ子」が「のり君」という男の子を好きになる瞬間の、
世界がはじけるような感じがたまらない。


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by chi-midoro | 2018-12-07 08:58 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-12-5

午前中に起きて楽な仕事から始める。
ひと段落したところで図書館に本を返しに行ってまた借りる。
調子にのってどんどん予約したのが一気に届いてまた大変だ。
絶対読み切れない。

帰りに100円ローソンで買った100円のカップ麺にコーン缶ドサ入れで昼食とする。

夕方頃家を出て、ずっと行きたいと思っていながらいっつもフラれていた西九条の「金生」へ。
みゆきさんに同行してもらう。
タイミングよく奥の方のテーブル席に座ることができた。
17時から21時までしかやっていない、なかなか狭き門。
しかし、これがやはりすごい店で、
例えば280円の「カニ味噌豆腐」っていうのが、カニそのままの濃厚な味で、
焼き白子は500円ぐらいでやたら旨く、カニの足茹でたやつが一杯入った皿も500円ちょっと。
一品ごとに感動がある。イカの刺身もうまかったな。
「これはラズ先生を連れてこないと!」と思う。パリッコさんも喜ぶだろう。
めちゃくちゃ濃くてもはやヨーグルトのようなどぶろくを飲む。
それでお会計は一人2000円までいかなくて、なんとありがたいことか。
最後の方に食べた里芋がまためちゃくちゃうまかったな。
チューハイが300円なのもうれしい。

すっかり満足して帰路。
酔った勢いで遅くまでスプラトゥーンやる。

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by chi-midoro | 2018-12-07 08:51 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-12-4

下のボーイも具合悪くなり、家が病室のように。
昼に髪を切る予約をしていて、その時だけ外に出てあとは家で世話。
昼はうどん。夜は湯豆腐。

ムンク展後に古本の通販で探して買った小さい画集と、「ムンクへの旅」というムンクの暮らした場所やアトリエとかを写した写真がたくさん載った本が一気に届く。

自分が好きだった「星空の下で」っていう絵はどちらの本にも載ってなかったけど、この前の展示になかった絵もあって、もっと分厚い画集も欲しくなる。ムンクは風景や人をめっちゃ抽象的に描いていることも多くて、表情が点や丸で描かれてたり、風景もいきなり単純化されてたりするけど、それは自分が得た印象に忠実に掻いていて、抽象的というよりむしろ自分イメージを写実的に描いたのかもしれない。あとそうだ、「別離」という、恋人が男のもとを去っていくような場面が描かれた絵があって、あそこからつげ義春が「別離」っていうマンガのタイトルを取ったんじゃないかという気がした。違うかもしれないけど。

伊藤重夫の「ダイヤモンド・因数猫分解」を有志の人がクラウドファウンディングで復刊したやつが届く。巻末に出資者として自分の名前も載っていて嬉しい。パラパラとめくり、いい絵だなと思って、とりあえず今は読む気にならなくて閉じる。

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by chi-midoro | 2018-12-05 12:22 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-12-3

シカクに出勤する予定の日だったがボーイを病院に連れていったりその後を見守ったりしていてだいぶ出遅れる。
週末、長野にライブしに来ていたアイノさんから連絡があり、今から沖縄に帰るところで大阪駅に向かっているというので、
駅構内で合流してコンビニ前で乾杯。
最近の活動のことなど聞く。ほんの一瞬だったが久々に会えてよかった。

急いでシカク出勤。
2時間ちょっとしかなかったのでがんばって一気に作業。
途中、強烈な眠気に襲われるがもらった饅頭やモナカを食べながら乗り切る。

夜はみゆきさんにもらった長崎みやげの「みろくや」のちゃんぽんを食べる。
麺がもちもちして太くて旨い。

「「太陽の塔」岡本太郎と7人の男たちを」読み終える。
今度2025年に大阪万博をやることが決まって、
まさにこの前「小商いのすすめ」に書いてあった、
オリンピックやって万博やって、あの高度経済成長期の成功体験を取り戻したい!みたいな安直な発想で、
しかも松井一郎がリーダーとなって一切なんも面白くないしょうもないものになり、そんなことに使ってる場合じゃない金が浪費されていくだけ。何かビジョンがあってやるんじゃなく、人を集めたい、(一瞬のぶわっとした)経済効果が欲しいみたいなことしか言ってないし考えれば考えるほど気が滅入る。
この本ももしかしてそういう流れで「日本にあのアツい時代を取り戻そうよ!」みたいなことが書かれている本なんだろうか、だとしたら嫌だな、と思っておそるおそる読んだのだが、幸いそんな感じではなかった。
というか、むしろ、「あの頃だからできた」ということが書かれている感じで、さらにあの頃だからできたっていっても、やはり当時も万博を手放しで楽しんでいたのはその当時ちょうど小学生~高校生ぐらいだった子どもだけで、それ以上の年齢層はどこかバカバカしいものに思っていたようなことも書いてある。
太陽の塔制作に関わった人たちに話を聞いていくのだが、やっぱり岡本太郎のエピソードが面白くて、

・塔の工事がほぼ終わった段階で岡本太郎が「あの腕をもうちょっと後ろにグーっと反らせた方がいい」と言い出し、タイミング的にまったく無理で、「わかりました!とりあえず担当者に伝えます」という感じでそれを伝えるだけ伝えて、後日、この前見たときとまったく同じ塔を見ながら「先生、やっぱりおっしゃる通り腕を反らせてよかったですね」って言ったら岡本太郎が「そうだろ?」と言ってニヤッと笑った
・岡本太郎が原型を作り、その形になんとか忠実に、でも建築技術として可能な範囲に収めながら裏方の人は図面を引いて作っていって、それでもやはり原型とは微妙な違いがある。できあがった塔を見た岡本太郎が「あれはオレの作品ではないんじゃないか?」と言った。
・塔の中に展示空間を作ることとかも当初は全然予定してなかったけど岡本太郎のアイデアでそうなっていった。展示って基本は水平移動で見ていくものなのにエスカレーターに乗って縦に移動しながら展示を見せるという発想がすごい。
・大屋根を貫いて太陽の塔が顔を出すという形に(これも予想外に)なったために、穴の開いた部分の下は雨が降ったら濡れる。それをなんとかしないとダメだという会議が行われた時に、岡本太郎が「名案がある!」と言って、「送風機を並べろ!」「雨が降ったら下から一気に吹き飛ばしてやる!」と真顔でいう。その場にいたエンジニアたちは何言ってんだと思いつつ、その変なこと言う岡本太郎が好きで、なんとかサポートしたいと感じていたと思う。
・70年万博には20代~30代のクリエイターたちが重要なポジションに器用され、それで色々と型破りなことができた。で、その若い人が器用されたのには、新しいものを求める時代の気分もあったけど、戦争で死んで上の世代のクリエイターがぽっかりといなくなっていたという理由もあったのではないか
・イベント終了後に取り壊す前提の太陽の塔だったが、作る側は10年後も残るものをと思って作っていた、それはロマンチックな思いというよりは、構造物として安全で、堅牢なものを作ろうと思ったらずっと残るものを、と思って作る必要があったからである。建築では計算上これぐらいの強度があれば十分という値にさらに強度を上乗せすることが多くて、その上乗せ分は「神様への捧げもの」と考えられている。予期せぬ災害もあるし、どうしても人間の計算には限界があるという考えが根本にある。
・腕の部分には「ショットクリート」という、コンクリートを打ち付けていくような工法がとられている。上から下に打ち付けるのはまだ楽でも、腕の下側の部分に下から吹き付けるのは相当な技術をもった職人しかできなかった
などなど、
岡本太郎の爆裂な勢いを現実化していくための裏話として面白い。

しかしやはり当時も万博は国家事業で、その時も「無駄な金だ!」つって、例えば赤瀬川原平なんかは「反博」を訴えていたし、それだから政府側は岡本太郎をかつぎ出して説得力を持たせたいと思ったのだろう(岡本太郎は、たくさんの周りの人が万博に協力するのはやめた方がいい!あなたの得にならないですと助言してきたので逆にやることにしたそう。パリ万博にピカソが「ゲルニカ」を出展したことが岡本太郎に万博に関わらせる根拠になったかもしれないと著者は書いている)。

そうして行われた万博は結果的には昭和の一大イベントとして印象を今に残していて、なにより太陽の塔は自分も大好きだけど、実際にそこから日本が良い方向に進んでいったりしたとかっていうことはなくて、ただ、「日本にもこんな規模のことができますよ」と戦後の世界にアピールする意味は大きな何かだったのかもしれない。

それはやっぱりその時、戦争の後の欠けた部分を取り戻すように万博がちょうどうまく機能した、ということで、今なんとなく不景気だからやる2025年の万博とは意味合いが違うと思う。新しく打ち出せる「未来!」みたいなビジョンもきっとない。というか人間は70年代にあったような宇宙に出て行く!みたいに広がりの方向性じゃなく、いかに限られた資源をセーブして使いまわしていくか、みたいな収縮の方向性に向き合わなきゃいけなくなっているから……というか原発事故の起きた国で未来の技術をアピールって皮肉すぎる。

2025年の万博にはどんな人が駆り出されるんだろうか。「えっ!岡本太郎がやるの!?横尾忠則も?」という感じは今に置き換えると誰になるんだろう。そんな人いるのか。いたとしてその人はやるだろうか。ドリカムとかミスチルとかが会場でライブして終わりみたいな感じなんじゃないだろうか。どうなっていくかジッと見なくては。



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by chi-midoro | 2018-12-05 12:08 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-12-2

目が覚めてからもずっとダラダラ。
昼、アーバンのママにいただいた能勢名物の「さとやま汁」の缶詰を温め、
冷蔵庫に余っていた生麺を茹でたやつをかたわらにおいて、
汁を半分ぐらい食べたところで麺を投入し、つけ麺スタイルで食べる。旨い。

図書館で借りていた本を返しにボーイズつれていく。
普段はネットで予約した本を受け取ってまた返しに行くだけなのだが、
久々に図書館の中のをウロウロしてみたら、手に取ってみないと面白さのわからない本がたくさんあった。
新刊コーナーの中から平野暁臣「「太陽の塔」岡本太郎と7人の男たち」という本を借りて帰る。

上のボーイの誕生日が近いということで、
甥っ子たちとみんなでバイキングを予約していたのだが、
直前になって当のボーイが具合を悪くし、
かといって当日キャンセルするとキャンセル料が発生するというので、
主役は義母と留守番して他のみんなは行くことに。

梅田のバイキング。
フォアグラとかふぐとか色々あった。
焦って食べ、生ビール一杯だけ飲んですぐ満腹に。
早めに帰宅し看病しつつ寝る。


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by chi-midoro | 2018-12-05 09:41 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-12-1

午前中、上のボーイの学芸会を見に行く。
忍者が修行する劇。写真撮る。

コンビニでカップ麺買って帰る。
終日ダラダラ。

夕飯はスーパーで野菜買って鍋。
東京から帰ってきて鍋食べるといつもようやく地に足が着いたような気持ちになる。

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by chi-midoro | 2018-12-05 09:25 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-11-30

眠りに眠って昼近くに目覚め、せっかく東京来たし、神楽坂の「龍朋」か、あるいは二郎系でもガッツリ食べて帰ろうかなと画像検索しているところに母から連絡あり。「お昼ご飯は藪そばで食べようと思っている」というので、ラーメンはいつでも食えるだろと気持ちを切り替え、浜町駅近くの藪そばへ。

俺はかしわ南蛮のそば、母はうどん。
ここはそんなに量が多くないので、母にはちょうどいいかもしれない。
旨い。これでよかった。
父の会社の会計仕事がバタバタ忙しいと話す母。今後、抗がん剤の治療をしていく中で「どうしても今日はダルい」という日だってあるかもしれない。そんな時に自分が休んでもなんとかなるようにしておこう、みたいな話をした。喫茶店でお茶して別れる。

水天宮駅前の大黒屋でムンク展の割引券(定価より100円安くなる)と、「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」の割引券(300円安くなる)を買う。これで今日は上野に行って一気に展示見てそれで大阪に帰ろう、と決めた。

晴れた冬の上野公園がなんかすごく心に染みる。
ムンク展をやっている東京都美術館へ入り、思ったより何倍も混んでいるのに驚いて、全部の絵をちゃんと最前列で見ようと思うと相当時間がかかりそうなのでスーッと後ろから見ていくスタイルで行くことにして、気になるのだけ近寄って見る。最初のコーナーでムンクがたくさん描いた自画像が時代ごとに並んでいて、なぜだかもうその一つを見ているだけで胸がざわざわして、涙が出てきそうになる。ムンクの母はムンクが5歳の時に亡くなっていて、姉が14歳の時に亡くなっていて、本人も病弱で、幼少期から死の気配が身近にあって、と、そんなのはムンクの評伝の受け売りだが、自画像の中に、世の中が思うようにならず、絶えず自分に圧をかけてきているような雰囲気が描き出されているように見えるのだ。

つげ義春の「夜が掴む」っていう心が不安定だった時期の作品で、部屋の外から夜が押し入ってくる描写があるけど、それとはまた別のバリエーションで、空気中に圧(「エーテル」とか、「気」みたいなものなのか、音なのか空気の体積なのか、なんでもいいんだけど)が漂っている感じで、それを自分が生きていることで押し返しているような。そんな風に見える。

そう見ていったら、ムンクの描いている風景が全部「思うようにいかないものの漲る空間」みたいに見えてくる。特に「星空の下で」という、グネグネした夜空の下、遠くには家の明かりが見えて、寒そうな外で身を寄せ合っている二人の人間が描かれているらしい絵を見ていたら、「自分たちにも善も悪も超えて降り注いでくる世界と、それを、そこに生きて存在していることによって必死に跳ね返している二人」っていう感覚が自分の中に広がって、それこそここ最近の母や妹のこととか、あ、そういえば、今朝、パソコンで銀行の残高照会したら1万5千円しか入金がなくて、となると、11月の月収がトータル5万円弱だったということになるのだが、そんな、自分の絶望的な経済状況にも反響して、「やばいこのまま見ていたら嗚咽してしまいそうだ」、ぐらいになってきた。

次の部屋で並んで「叫び」を見ているうちにその激しい気持ちは引っ込んだけど、そこからもムンクの絵の端々から、神々しいノイズに溢れた世界とそれを跳ね返す自分とか愛しい人っていう感じが溢れまくっているように感じられて、これまで何にも知らなかったくせにいきなりムンクが激烈に好きになった。「叫び」にしても「マドンナ」っていう絵にしても、同じモチーフを何度もバリエーションで描いていくところもいいし、すべての作品がつながっていて、並べ替えによって別の意味に見えたりするところを見越して描いているようなところも面白い。ムンクは80歳まで生きて、今日パッとみたところだと晩年に近づくに従って、風景に漂う圧、ノイズみたいな感じは減少して安らかになっていくように思えたけど、後の方の絵もそれはそれでいい。もったいないぐらい早いペースで見て、気の利いたグッズが色々用意されているのにまんまと引っかかって少し散財し、外へ出る。

もうそのまま、余韻にひたらずに「快慶・定慶展」を見に行く。そういうスピードで今日は見る。

国立博物館へ向かう途中、公園内にたくさんいる修学旅行中らしき高校生か中学生の男女混じった一団に、自転車に乗ったグレーのスウェット姿のおじさんが近づき「まゆ毛がふっといー、まゆ毛がふっといー」と歌って去っていった。そして歌われた生徒たちが驚き、一瞬間をおいて大笑いしているのが聞こえて、ふとそっちを見たらまゆ毛の太い男の子が上気した顔で、「先生!いま、知らない人にいきなり『まゆ毛がふとい』っていう歌を歌われたんですけど!」と言っていて、やべえと思った。グレーのスウェットのおじさんはそのままフラフラと自転車を漕いで向こうへ行って、今こう書くと笑えることに思えるけど、そういうことをいつもやっている人だとしたら怖い。

国立博物館の平成館に近づいていったら、なんと今ここでデュシャン展もやっていることに気づく。昨日ハナイさんが「今デュシャン展もやってるよね!『泉』が来てるんだよ日本に」と言っていて、それも見てえなと思っていたのだ。ちょうどいいからもう今日はそれも見る。

まず、「快慶・定慶展」へ。京都の千本釈迦堂にある仏像が一同に集められたもので、ずーっと昔にそこに仏像を見に行った記憶があり、そして結構感動した覚えあり。「こんな仏像だったっけ」と思いつつ、そして「寺で見た方が迫力あるだろうな」と思いつつも、美術館ならではの、背中側からも見られるというアングルを味わう。特に、快慶が作った十大弟子像がヤバくて、特にその中の、今はもうどれがそれだったかわからないのだが(目犍連という弟子像だったかも)、丸めた背中に背骨のコツコツと隆起している感じとか、背中についた筋肉のすごい微妙な表現にめちゃくちゃ渾身の力を入れているものがあり、「これは絶対に背中から見られることを意識してた、じゃなきゃここまでしない!」と思う。背中からそれを見ることができる人は、寺の関係者とか限られた人しかいないわけで、これを作った快慶は、この背中の表現を誰に伝えようと思ったんだろうかと思う。それともそういうことじゃないのか、誰に見られようと見られまいと自分の思うリアルさを完全に追求することが快慶がしたかったことなのか。

でもその気迫はすごいし、完全に神がかった技術なんだけど、その後の定慶になると自分はあんまり興味がわかなくて、フィギュアっぽく思えてしまう。「家にあったらどんなだろー」ぐらいのバカな感想しか浮かばない。技術は明らかにすごくて、向上しているぐらいに感じるほどなのに、何かが無い。自分の好みの話だけかもしれない。

展示の最後、定慶作の「聖観音」という仏像だけ写真撮影OKになっていて、みんなが囲んでスマホで撮っている光景がちょっと面白い。

そこを出てそのまま向かいのデュシャン展の会場へ。デュシャンのことは、美術史の転換点みたいなイメージでしか知らず、「確かに便器を最初に展示したっつうのはすごいけど、発想が面白いだけで、ものそれ自体が面白いわけじゃないよな」という感じで、全然真剣に考えたことがなかった。

展示も、まずデュシャンが初めに描いていた印象派的な油絵は割と普通で、その後のキュビズム時代も、「階段を降りる裸体」というのは絵としても迫力があったけど、あとはザ・キュビズムな感じにしか見えなくて、ガラスの作品も、作品自体、見てて楽しい感じでもない。やっぱり、思考する楽しみっていうことなんだろう。「階段を降りる裸体」は、裸の女性が階段を降りてくるその運動を平面に書きとどめようとしたもので、止まっているものに映像としての情報をブッ込もうとするその過激さは最高だし、やっぱり「泉」も、見てみると笑えた。本当にあの、写真で見た通りの便器だ。近くで見ると味がある、あんまり不潔な感じはしない。触りたいってほどじゃないが。それをやるっていうところまで考えを進めるのに、通常100年ぐらいかかっておかしくないところをデュシャンはどんどん考え進めていく。それはすごい。もし、物体としてのすごさがある作品がもっとあったら、もっと俺はデュシャンが好きだったと思う。でも、作品はいくらでも複製可能なものであると考えて、自分の代表作のミニチュアをカバンに入れて移動式美術館みたいにするところとか、本当に最高にかっこいい。でも……と、デュシャンについては「うーん、でもすごい、でもなんか、いやー」みたいに「すごい!けどなんなのよ!」みたいになってしまう。「デュシャンは芸術をやめて最近はチェスの王者を目指しているらしいよ」っていう噂を自分から広めようとしたところとか、なんとも憎らしいほど面白い。そんで実際チェスの腕前はすごかったそうである。

一定の評価を受けつつも世間的には過去の人となったデュシャンが実は遺作として、「1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ」っていうのを作っていて、それはドアから小さい穴を通して鑑賞する体験型の作品で、それが死後に公開されるって、どうだ。完璧すぎてなんか憎らしい。実物はなくて、映像が流れていた。実物が見てみたくてたまらなくなる。

ものすごいスピードで見たつもりだが、それでも予想以上に時間がかかり、もう夕方だ。ショップで「泉」のポストカードと、十大弟子像がバンドメンバーみたいにかっこよく並んでいるポストカードを買って急いで上野駅を目指す。日比谷線で人形町、部屋で急いで荷物をまとめ、母と父に「また来るわ」と声をかけ、水天宮前⇒大手町⇒東京と乗り継ぐ。

ポケモンショップでカードを買って来てくれとボーイズに頼まれており、それを探すも売り切れていて無いという。諦め、崎陽軒のシウマイ12個入りのやつを買って新幹線に乗り込む。酒は部屋の冷蔵庫に妹が入れておいたと思われるプレミアムモルツを1缶持ってきてある。

荷物が重すぎて汗だくになり、席をとるなり、Tシャツになってビールを急いで飲んで、飲み込むようにシウマイを一気に食べ切り、たまっていた日記を書く。

そうしているうちに新大阪に到着。ポケモンカード売り切れの知らせにボーイズが泣いてしまい、仕方ないので梅田で途中下車することに。ヨドバシカメラに行ってみたがここも売り切れ。何の影響なのかわからないが、今どこも売り切れているんだという。疲れ果てて帰宅。

東京でもらってきた「龍上海」のラーメンを急いで作って食べ、風呂に入って一旦寝て起きてまた日記を書く。

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by chi-midoro | 2018-12-02 04:17 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-11-29

昨日、父と下の妹と居酒屋で飲んでいて、「お父さん、明日行ったら?」という話になった。

当初今回の入退院にはノータッチの予定だった父だが、「車を出して迎えに来てくれたら母も楽だし、どうよ」と。すると父も「まあ、いいけどな」みたいな反応で、もともとは自分と上の妹とで電車に乗って病院へ迎えにいくはずだったのが、父の車に乗って三人で行くことになった。

人形町で9時に待ち合わせることになっていて、昨日に引き続き、遅刻が怖くて断続的に起きたり寝たり。いつも東京に来ると変な夢ばかり見る。たいてい悪夢ばかりだが、どれも長編で設定も複雑だ。今はもう思い出せないけど、髪の毛に枝だの葉っぱだのがたくさん絡まっていて不快、というシーンがあった記憶がある。

父の車の前で合流し、乗り込む。上の妹は上の妹で、この前健康診断で引っかかり子宮がんの疑いあり、みたいなことで、今きちんとした検査を受けて結果を待っている。12月19日に結果が出るとのこと。こんなことが重なると、お祓いでもなんでもしておきたくなる。車内で昨日の母の様子や病室のことなどを話しながら「っていうかあなたは大丈夫なの?」と妹に聞きたくなるが、なんとなく真っ直ぐそんなことを聞くこともできず、それは脇においやる感じで、母のことを話している。

今日も天気が良い。皇居の外周を周るようにして神楽坂方面へ。昔よく歩いた辺りも通る。

30分ほどで到着。巨大な病院の、母が入院しているのとは別の棟の地下に駐車場があるらしく、そっちへ向かう。停めた場所からエレベーターで2階へ上がり、長い長い連絡通路を通って母のいる病棟へ。昨日来ただけのくせに俺がリーダーのように先導する。

11階に着いて面会の手続きをして、病室のドアを開けるまで、なんとなく母がベッドに寝ている様子を思い浮かべていたが、白い引き戸を開けてみると、母はすでに着替えていて、荷物の片付けも済んでいる。今すぐでも出られるような状態。係の人がもうすぐこの部屋に請求書を持ってくるそうで、それをもらえば会計して帰るだけだとか。「ここが一泊6万円。へーえ」と父が窓から外を眺める。

母は昨日は熱が出たけど、夜半にはだいぶ下がり、今はもう平熱に戻っているという。夕飯ほとんど食べなかった分、朝は食欲があったのだが、食パン1枚にジャムちょっとみたいな食事でガッカリしたそうである。とりあえず今のところ、体調がどうとかもないようだ。

請求書を受け取って会計を済ませ、忘れ物がないか病院の人の立ち合いのもとにチェックして終わり。昨日来たのと同じように荷物を持って出る。次からは外来で3週間おきに抗がん剤を投与していって、経過を見つつ3か月後に手術する予定。来た通路を同じように歩き、車に乗って人形町へ戻る。車の中では母と妹がお互いの体の話をしている。父はしばらく前に受けた健康診断の結果が出てるのに面倒がって受け取りに行ってないらしく、「今日行くかな」と言う。3年ぐらい健康診断をサボっている自分も、これを機に行くかーと思いつつ、しばらく行かない気がする。

11時にはもう人形町。昨日は結構長く病院にいたので今日も何時に戻ってくるやらと思っていたのが拍子抜けするほどだ。しばらく近くの緑道で時間を潰し、いつも11時45分頃に開く生駒軒に行って、4人でご飯。妹は今日は休みなので、瓶ビールをもらって一緒に飲む。母もタンメンを食べている。さすがにいつもより食欲がなく、食べ残していたが、まるで病人たちの昼とは思えない、これまで通りの時間だ。今日のタンメンはいつにも増して味が淡泊で、妹が注文したチャーハンもそれに負けず淡麗な味。塩ほとんど使ってないんじゃないか。油っぽくもない。じわじわと味がわかってくる、独特の体験。

食べ終えて喫茶店でコーヒーを飲んでいると眠気に襲われた。妹と母が話しているのを聞きながらウトウトする。

みんなと別れて部屋に戻り。ひと眠りしようかと思いつつ、やっぱり部屋を出ることにして池袋へ。とりあえず今回の母のことはこれで完了だと思って、それで気が抜けたのか、歩いていたらふいに落ち込んできて、この前はいくらでも本が欲しいように思えたジュンク堂に入っても何も頭に入ってこず、だけど時間はあまっていてすることはないのでとりあえず立ち読みする。

ムンク関連の本がたくさん出ていて、それは今、上野でムンク展が開催されているかららしく、そういえばFacebookで中原昌也がムンク展に行ったことを書いていたなと思い、明日行ってみようかなと思う。

小田島さんとジャケのデザインのことでやり取りしているうちに充電が切れてしまい、近所のドコモショップで充電させてもらいながら、あてもなくアディダスの店みたり、無印良品みたり、なんだか居場所が定まらない。

夜はハセガワさんに飲もうと誘ってもらっており、18時半に門前仲町に集合することに。充電が半分ぐらい回復したところで門仲方面へ向かう。だいぶ早く着いた門前仲町駅で上間陽子「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」を読み終えた。

著者は沖縄出身で、この本は、沖縄でDV被害にあった少女や、シングルマザーになって水商売をしながら生活している若い女性たちについて著者が寄り添い、これまでどういう体験をしてきたのかを聞き書きしたもの。7つの章にわかれている。一つの章ごとにフォーカスされる女性は違っていて、みんなそれぞれ経緯も抱えている状況も違うんだけど、似通っている部分もある。最後の章に出てくる「春菜」は、家庭環境が安定せず、よく家を出て男友達の家を渡り歩いていたところに、援助交際をすすめてくる「和樹」というひとつ年上の男に会い、客はその「和樹」がとってきてお金を折半するような暮らしをして、そのうちに「和樹」のことが好きになって付き合うようになるのだが、「和樹」は「春菜」が体で稼いでくる金を使い込むようになり、徐々にそんな「和樹」に嫌気がさしてきて別れることになるんだけど、完全に関係を断つことはできず、最近新しくできた彼氏に自分が援助交際をしてきたことを悟られまいとしている、知られたら自分が汚れていると思われると思う、みたいな話が語られ、そしてその語っている「春菜」はその時まだ20歳になったばかりだという。ものすごいスピードで生きている感じだ。

著者があとがきの最後に「早く大人にならなくてはいけなかった子どもたちが、自分を慈しみ、いたわることのできるような場所をつくりだしていきたいと思っています」と書いている。ゆっくり大人になれるということは贅沢なことなのかもしれない。初出が岸政彦編集の雑誌だったようで(というか岸政彦つながりで自分はこの本を知ったのかも)、岸政彦の沖縄本も読みたくなる。

読み終えてぼーっとした気持ちで階段をのぼり、門前仲町の交差点に出る。電話がかかってきて通りの向こうにいるハセガワさんを見つけて合流。1年前ぐらいに二人で入った「万俵」という店で飲む。今日はbutajiさんと一緒に作らせてもらった「遠い街」というCDの打ち上げみたいな意味合いもあって、butajiさんも誘ってくれていたそうなのだが、急きょこれなくなってしまったらしい。そのCDのことや、今後の仕事のことなど話しながら飲む。1時間ほどして仕事帰りのハナイさんが来る。

なんとなく母の病気の話になって、そこで、ハナイさんが痛風になった時の話も引き合いに出しつつ、母が「がんになってみたら色んな人が『私も前に同じ手術したよー』とか、『私の友達にもいる』とか連絡してくれるんだよね」と言っていたことを思い出し、病気になると、同じ病気や、それに近い状況を経験してきた人たちの言葉が聞こえてきたり、そういう本が目につくようになったり、これまで気づかずにいた透明の線が急に色づいて見えてくるみたいに、世の中に存在していたレイヤーが現れる。

ハナイさんも痛風になった時にそんな話を仲間にしたら「お前もいよいよか。実は俺も」みたいな感じで、まるで秘密クラブへの入会を許されたかのように、実は存在していた痛風ネットワークの存在が眼前に広がり、「心配するな、こういうところに気をつければ飲めるぞ」みたいなことを色んな人から教わったりしたそうだ。

例えばものもらいが急にできて、いつも歩いている町の中を眼科を探して歩いてみたら、案外たくさんあることに気づいたりするみたいな。というか、必要があって初めて見えてくるレイヤーが無数に世の中にはある。それの重なりが世の中なんだろう。

それでいうと「がん」とか、女性にとっての「乳がん」とかはかなり情報量の多いレイヤーで、それによって見えてくるものの広がりがすごい。昨日読んだ本の「自分の中に起こった感覚を手掛かりに他人の気持ちを想像する」みたいな感じで、世界に重なっている見えない層をできるだけたくさん感じられれば、それだけ色々なことに共感できるようになるのかもなと思う。それが楽しい人もいるし、そんなの意味ないよという人もいるだろうけど。

ハセガワさんはメテオさんにも声をかけていて、遅くなるけど仕事終わり次第来てくれるというので、メテオさんが出やすいようにと、有楽町へ移動することに。

「食安ででも飲みますかー」という話になって、ふと、日比谷駅から直結している「ミッドタウン日比谷」っていう、ここ最近できたばかりなはずの施設の地下にコンビニがあったことを思い出す。そして行ってみると、(地下だから当然だが)屋根あり、暖房あり、綺麗なトイレありの最高スペースで、コンビニの前に置かれた椅子とテーブルで酒を飲んでいる人もチラホラ。「こりゃいいや!」と、そこで飲んで待つことにして、しばらく歓談しているとメテオさんとこまんたれ部さんが来る。みんなで乾杯して記念撮影して、そこではほどほどにして「食安」にも結局行ってみることになり、もう一杯。気付けば23時頃となり、三々五々解散。メテオさん、ハセガワさんと三人で東京駅方面まで歩く。

メテオさんを改札まで送り、ハセガワさんと人形町方面まで歩いて解散。
長い一日だった。

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by chi-midoro | 2018-12-02 03:02 | 脱力

ブラックニッカ日々 2018-11-28

今日は朝8時半に森下駅で母と下の妹と待ち合わせることになっていて、
いつものゆるい約束と違って遅れられないなと思い、緊張していた。
そのせいか、5時半、6時、6時半、みたいに目が覚めては「ああ、まだ寝れるわ」と思ってまた起きてを繰り返し、7時ぐらいからもう起きていることにした。身支度して早めに出る。

乳がんが早期に発見され(ステージ1ということになるのだとか)、まず抗がん剤を投与して細胞を小さく留めておいてから手術をするという予定の母の、今日は最初の抗がん剤投与の日で、人によっては薬が合わず、副作用が大きく出たりすることもあるというので、初回だけ念のため1日入院して慎重にやる、ということなのだそうだ。

都営新宿線森下駅から大江戸線に乗り換える通路のところで立って本を読んでいたら母が来て、ずいぶん大きな荷物を持っている。1泊とはいえ、何が必要になるかもわからないし、と色々持ってきたそうである。まあ、1日で終わるのかもわかんないもんな。自分も一体これからどういう展開になるのか、全然わかってない。結構重たい荷物で、その荷物を持つ係というだけでも自分の役割が見つかったような気がしてホッとした。

しばらくして妹が来て、電車に乗り込んで若松河田駅へ。聞けば入院は10時からだそうで、まだ8時半。相当早い。駅前のタリーズで30分ほど時間を潰す。みんなでコーヒーを飲んでいるけど、これから抗がん剤だっていうのにコーヒーとか飲んでいいもんなのか、そういうこともまったくわからない。

「そろそろかー」と女子医大というデカい病院へ向かう。巨大な病棟が通りを挟んで向かいあうように建っているうちの、中央病棟という方へ行って入院手続き。手続きを終えた母が「部屋が変わるんだってー!」と言うのでよく聞いてみると、何週間か前、事前に主治医の先生と「じゃあこの日に入院して最初の抗がん剤をー」と話していた時に今日の日程を決めて、その時に入院する部屋も予約したのだそうだ。それが1日2万円の個室で、今日泊まって明日の朝までいると2日分の料金がかかるらしく、つまり合計4万円。そのはずだったのだが、予約した部屋に別の人が入り、今空いているのは1泊6万円の個室しかないのだという。で、それは申し訳ないので、1日分だけの6万円にするという話をされたそうだ。下の妹が「え!向こうの手違いだから、6万円の部屋を4万円にしますっていうことかと思ったけど、そうじゃないの?当初の予定より2万円も高くなったわけでしょ?ひどくない!?」と怒り、母も「ねー!」と言うが、「ま、言えないけど」と、下の妹も母も、決してそんなことを相手に伝えたりできないタイプなのである。

なんかここでゴネて悪い印象を持たれて治療されるのも嫌だし、要するにこっちは従うしかない感じだ。

病室は11階にあるそうで、エレベーターに乗っていく。エレベーターに若い医師が肩で風を切るように乗り込んできて、首をグイグイ回している。後ろからオシャレな感じでひげを生やしているのが見えて、こういう人も医者なんだな。そりゃそうかと思う。

で、11階の受付に行くと、入院する部屋に今朝までいる人がまだ退院してないので、1時間ほど待ってくださいと言われる。11階の端の方のロビーに椅子とテーブルがあって、そこで待つ。窓からの眺望が広く、右手の方に代々木や新宿のビル群が見える。「天気が良くてよかったよ。これで雨だったら滅入るよ」と母が言っている。

母は妹と、抗がん剤で髪の毛が抜けて(やはり、抗がん剤を投与すると抜けるものらしい。そういうイメージだけあったけど、本当なのだ)からの話をしていて、いつも行って仲良くしている美容師さんがウイッグを手配してくれることになったとか言っていて、こういう話は同性同士の方がしやすいだろうから妹がいてくれてよかったと思った。となると、自分は何をするかっていうと、特にすることなく、本を読んで過ごす。

ロビーには、入院している患者の人たちが電話しに来たり(ケータイはここでしか使えないらしい)、共同の冷蔵庫に名前を書いたビニール袋を入れにきたり、自販機に飲み物を買いに来たりする。みんなどこが悪いのか、もちろん、見ただけではわからない。

ようやく看護婦さんが呼びに来て病室に通される。入って左手にベッド、右手に4人掛けの革張りの黒いソファがある部屋で、窓が広く、外はさっき同様、東京の都心を見下ろすような景色だ。部屋の中に専用の冷蔵庫があったり、トイレもシャワーもあったりして、ここはケータイで通話したりしてもいいらしい。テレビも他の部屋はカード式で有料だけどここは無料で見放題。そういう細かい差の集積で値段が高くなっているみたいだ。とはいえ、決して広いわけじゃなく、ビジネスホテルのベッドが二つある部屋、ぐらいの。

ソファに座り、母はとりあえず必要そうなものを荷物の中から出したり、寝間着に着替えたりして、自分と妹は手伝えることは手伝いながら、でもほとんどぼーっと過ごす。たまに看護婦さんが来て、検温したり、入院時の注意事項を伝えに来たり、普段飲んでいる薬を確認しにきたりする、その都度違う人がきて、これが大きい病院かと思う。

ある人は、「お昼ご飯が12時からなので、それを召し上がってもらってから点滴をします」と言い、かと思えば、しばらくして「では点滴を始めていきます……あ、お昼が先がいいですか?あ、じゃあまたその後でいいです」と別の人が来て言ったりする。こういう風に大人数で分担してやっていく以上、何か取り違えたりミスしたり、そんなことがそりゃあ起きるよなと思う。でもそういうシステムだからたくさんの患者に対応でき、そのために高度な機器を備えたりできるわけで、わかんない、何が一番いいのか。

とにかく母は12時にご飯を食べ、それからまたしばらくして2種類の抗がん剤を、初回なのでかなりゆっくりとしたペースで点滴していくことになり、「お前たちも何か食べたら」と言うので妹と院内の少し離れた敷地にあるコンビニへ行く。自分はコンビニで何か食べるぐらいなら何も食べなくてもいいやと思って何も買わず、妹の買い物を待つ。それで部屋に戻ると母はすでに病院の昼食を食べ終えていて、またぼんやり時間が過ぎるのを待つ。

図書館で借りていた山竹伸二「こころの病に挑んだ知の巨人」を読む。森田正馬、土井健郎、河合隼雄、木村敏、中井久夫という5人について、その理論とか精神病へのアプローチ方法についてまとめた本で、自分はこの中だと、河合隼雄の本を少し読んだことがあるのと、中井久夫の本は大好きでとんでもない偉人だと感じているぐらいだ。森田正馬とか土井健郎のことは名前も知らない状態。森田正馬は、「森田療法」っていう、例えば何か自分が恐怖してしまう対称があったとして、それを怖がらないようにしようと思うからますます精神に負荷がかかるのであって、恐怖は恐怖としてあるがままに受け入れるべきだという理論に基づいた治療法を確立した人。大正から昭和にかけて活動した人。

土井健郎は「甘え理論」を提唱した人として有名で、人は成長する過程で親に甘え、その甘えが受け取られ、許されることで精神を形成していくのだが、幼少期に甘えたい気持ちが満たされないと、甘えの行き先がなくなり、例えばそれが過剰なナルチシズムに向かったりする。なので患者を治療する治療者は、患者が不安なく甘えられるように対処し、正常な甘えを体験させる必要がある、というような治療法を実践した。

木村敏は「あいだ」という概念を提唱した人で、オーケストラが合奏している時とか、人と人とが円滑に会話している時に、その合奏や会話を成立させているのは個人個人じゃなく、人と人とのあいだにある何か大きな力だと考え、精神的な治療にもその「あいだ」を意識することが必要だと考えた。この「合奏」の話の感じはかなり保坂和志っぽい。あと木村敏は統合失調症と鬱と躁状態をそれぞれ時間軸として解釈しようとして、統合失調症は祭りの前、「何か大変なことが起こる!」という予兆の中で精神のバランスが崩れた状態で、突発的な躁は祭りの最中であり、鬱は祭りの後に自分が果たせなかったことばかりを拡大して悔いている状態だっていう風に考えた。

中井久夫について、著者はたぶん一番思い入れ強く書いている感じがする。やはり中井久夫は別格だという感じがする。例えば中井久夫は、「心のうぶ毛」という言い方をよくしていて、それは相手の表情の微妙な変化を読み取って言葉を選んだりするような繊細な配慮のことで、精神療法を行う上で治療を行う側は患者が「心のうぶ毛」を取り戻すように配慮し、同時に治療者もその「心のうぶ毛」で患者の変化を敏感に察知すべきだというようなことを言っている。繊細な手触りの違いをうぶ毛が感じるように、普段あまり意識しないけど「うぶ毛」の役割って相当重要なのである。そしてそれは心にもあるのだ。

また、統合失調状態にあった患者の治療を目指す姿勢について、中井久夫は「必要なのは多数者に従うことではなく、少数者として生きる道なのではないか」と書いているという。「社会に完全に適応できる状態を目指すのではなく、完全には適応できなくても、それなりに安定した生活ができるようになる地点を目指す」という。例えば、病気を患った人が、元の状態を目指そうと思ったら、そうならないことに苦しみや悲しみを覚えるだろうけど、そもそも最初からそこを目指さなくていいのだ。病気を経た後の自分なりの安定を目指せばいいのだ。この優しさ、そばにいてくれる感はなんなのか。

中井久夫が尊敬するアメリカの精神科医のサリヴァンという人が「面接者は自分自身の内部に起こる不安のわずかな動きにも敏感なアンテナを働かせて、次にくる過程が何かを予見する力を練習しなさい」と述べているという。

よく、「その気持ちわかるよ、そういう時ってあるよね」って言ったら「あんたなんかに私の気持ちがわかるわけない!」って怒られることがある。ことがあるっていうのは、そういうシーンをドラマやマンガや映画や小説で何度も見聞きした気がする。自分も、軽々しく他人に「わかるよー!」って言っていいのだろうかと思う時があり、だから静かにうなずくだけにしたりする時があるけど、考えてみたら「あんたになんか私の気持ちがわかるわけない」って当然なのだ。一人一人の内面は違って、想像することしかできないのだから、わかるわけがない。がんだと言われた母の気持ちを自分が何かの病気を過去にした時の気持ちをもとに想像したところで、母の本当の気持ちはわからない。だけど、自分の中にある材料から想像するしかないのだ。そうやって「今、悲しんでいるこの人の気持ちは、過去の自分のあれと近いだろうか、それともあれとこれの間ぐらいの気持ちかな」とか想像することが人間の限界で、だから自分は「お前に何がわかる!」って言われようとも、できるだけ、人の気持ちを分かるように、自分の感じたことをストックしておこうと思った。

14時ぐらいに若い女医さんがきて、母の腕に点滴用の針を取り付けた。母の腕はなかなか血管を探すのが難しい、難易度の高い腕らしく、若き女医さんは「あれ…うーん」とか言いつつ、とりあえずやって出ていって、で、それから30分ぐらいしてまた別の人がそこに点滴を取り付けるんだけどうまく点滴が流れていかない。で、「あれーなんでだろう」みたいになり、そこにちょうど主治医の先生がきて、その人は今日これまで見た医師たちの中で一番親しみを感じられるような雰囲気の人だったのだが、その人がよくみたら、ちょっと無理のある形で針が取り付けられていたようで、主治医の先生があれこれ調整してくれた結果なんとかなったらしかった。なんだか何を見ても不安なのは、自分もそうだし母もそうだったろう。最初の点滴が30分ほどかかり、その次は90分ぐらいかかるらしい。点滴が始まって、薬があわない人だと湿疹が出たり、心臓が苦しくなったりすることもあるらしいのだが、そういったことも無いようで、あとは今日は点滴が終わったら食事して寝るだけとのことだったので、そこら辺で自分と妹は帰ることにする。

「というか父は今日一人でどうするんだろうね。飲みにでもいくのかね」と妹と話し、連絡してみると、特に予定もなしとのことで、みんなで飲むことに。その予定だけ決め、一旦妹と別れて六本木へ向かう。ヒルズでやっている藤子不二雄A展に行ってみる。52階でやっている展示イベントで、展望料金もセットになっているからか、1800円と高い。エレベーターが上につくと、さっき病室で見た東京が今度は夜景になってさらに広く目の前にあって、写真を撮っている人がたくさんいる。

藤子不二雄A展は思ったより小規模で、原画などは少ししかない。写真を撮れるスポットがいくつもあって、そういうところを楽しむ内容みたいだ。複数人で来たらいいかもしれないが、自分は一人で、スタッフの人に撮ってもらうのも気が引けてサーッと通り過ぎるように見た。笑うせえるすまん、好きだったな。というか、藤子不二雄A、相当好きだった。「不思議町怪奇通り」という分厚い短編集を、たぶんあれはまだ小学生だったと思うのだが、親に買ってもらって、何度も繰り返し読んでいた。あの黒の濃さ。怖かったな。エロさもあった。そういう気持ちを思い出し、「藤子不二雄Aさん本当にありがとうございました!」という気持ちでグッズをあれこれ買う。

同じ券で、「カタストロフと美術のちから展」という、芸術が震災(3.11に限らず)に対してどう向かい合って来たかっていう感じの展示も見られるそうで、面白そうなので見る。だが、妹や父からメールがきてもう飲み始めるというので、時間がなく、本当に通り過ぎるようにして見た。堀尾貞治という人が阪神大震災の倒壊した建物や瓦礫を描いた絵と、なんか不安を掻き立てるヘルムット・スタラーツという人の絵が印象に残り、できるだけそれを長く見て「後で調べよう」と思って小走りに出る。

六本木から人形町へ日比谷線で向かい、一度部屋に荷物を置いて妹と父が先に飲んでいる「やわらぎ」へ。朝から緊張した母の入院だったが、こうして飲んでいると、なんか気持ちがほぐれる。母から連絡がきてないか妹に聞くと、LINEが既読になってしばらくしてから、2回目の抗がん剤で熱が出て39度ぐらいになったけど、それはよくあることらしく、解熱剤を飲んで寝ているという。食欲はあまりないけど大丈夫とのこと。まあとにかく無事でよかった。無事というか、ここから始まるのだろうけど。

昨夜実家で母が髪の毛が抜ける話をして、「お母さんなんか髪が黒々してることしか取り柄が無いのに…」と言っていて、その時は「はは、どういうことよ」と笑ったけど、なんか不器用で切ない言葉として記憶していて、でもそれを妹と父の前で話したら「わはは!」と笑い話になって、こうしてやはりみんなで話していると軽い、明るい気持ちになって良い。父が「また生えてくるんでしょうよ。俺なんかもう生えてこないんだから!がんじゃないのに髪がないんだよ!そういう人もいるんだ」と言い、その冗談にもなんだか切実なおかしみがある。しばらくして妹の旦那さんも仕事を終えてやってきて、4人で飲む。湯豆腐が旨い。近くに元気な会社員らしき集団がきてちょっと騒がしくなったのをきっかけに店を出て、日高屋でもう一杯。野菜たっぷりタンメンの麺少なめを父をわけ、ウーロンハイ飲む。

23時ぐらいに解散となり部屋に戻る。

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by chi-midoro | 2018-12-01 17:37 | 脱力