7時に大阪着。
東京より少し寒く感じる。 朝だからか。 天気が良く、疲れたが気分は悪くない。 ふと歩いた先に吉野家があり、 ん、牛鮭定食、と一瞬味を想像したら吸い込まれた。 「牛鮭定食のご飯少な目で」と注文したら「牛鮭定食ご飯大盛りのお客様ー!」と運ばれてきたが、 無事少なくしてもらうことができ、ちょうどよく食べた。美味い。 帰宅し、午前中にやっとかなきゃならない仕事だけして少し寝る。 京都の出町柳でやってるめりんぬさんの個展に行きたいと思っていて、 タイミング的に今日しかないなと思って行くことにする。 京橋で割引チケット買って京阪の特急で。 一瞬しか目を開けてられず着くまで眠る。 momragっていうスペースでやってるというのだが、 本人がおらず、ポストカードがちょこんと売られているだけで、 これだけっていうことは無いんだろうけど、間が悪かったなと思ってすぐ外へ出る。 せっかく出町柳まで来たのでトランスポップギャラリーまで歩いてみたら逆柱いみり展をやっていて、 それを見る。改造車みたいなギラついた絵でちょっと面白かった。 鴨川沿い歩こうと思いつつ、めりんぬさんにLINEして見たら 「今開けました!」とのこと。2階が展示スペースだったようだ。 まだ近くにいたので見せてもらう。 急な階段を上ると銀紙でギンギラになった部屋にめりんぬさんのコラージュが置かれたり、 タコかぶってる写真が貼ってあったりする。 とにかく色が過剰に迫ってくる感じをしばし堪能。 下に降りてめりんぬさんと少し話す。 会期中はほぼ在廊しているというので、あの2階の部屋にいるんですか?と聞くと、 あそこにずっといると気が狂いそうになるんで、下にいます、と言っていた。 めりんぬさんでもあの部屋は気が狂いそうになるんだなと思った。 ギッラギラの色彩の化け物みたいなのもかっこいいし、 水墨画とか、つげ義春の絵みたいな何も色が無いようなのも好きだし、 さらにはその間の“ちょうどいいやつ”も好きである。例えば永井博みたいな。 どんどんどんどんどれもこれも良く思えて、少し前は、 そんななんでも分かる!みたいに言ってるのは実は全然分かってないっていうことなのでは?とか思ってたけど、 よく考えたら、別にそんなの人それぞれでどっちでもいい。 なんとなく自分の場合はこの世界に、できるだけ分かるためにやってきたのだろう。 それにしては分かりやすいものしか分からない。 鴨川沿いを小川さやか「都市を生き抜くための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌」を読みながら歩く。 返却期限が過ぎているのだ。 ここ最近読んだ本の中でも特に面白いように感じた。 何日か前の日記にも書いたが、古着をストリートで売る商人・マチンガたちが、 独特の倫理観を持っていて、ズルしても裏切っても平然と許し合って生きているというその感じ。 とにかくグッと来た部分にふせんを貼りまくったのでできる限り抜き書きしたい。 ちなみに著者の小川さやかは、マチンガたちに混ざって2年間ぐらい実際に古着の行商をして、 現地でも「白人(日本人はそう呼ばれる)の女のマチンガがいる!」と有名になっていたそうだ。 ・2005年のある晩、ふとした会話中にわたしは、調査助手のブクワとロバート、露天商で友人のニャワヤから「サヤカ、君はいつになったら本(博士論文)を出すんだ」と尋ねられた。(中略)この日、わたしは少々落ち込み気味だったので、「博士論文を書くのがいかにたいへんか」について切々と語った。そのなかでわたしは「書くときにはいつも不安だ。あなたたちが書いてほしくないことを書いてしまうかもしれないし、結局は、私の解釈でしかない」と話した。(中略)翌日、古着市場に行くと、マチンガ数人から突然「大事なことだから、二万シリングをくれ」と大金を要求された。(中略)その翌日、わたしは突然、重要な会議があると呼び出された。馴染みのバーに着くと、17人のマチンガが集まっていた。そしてニャワヤから「いまから<マチンガの商売とは何か>をひとつに決めるための話しあいをする」と告げられた。ブクワとロバートは、他の露天商や行商人に「サヤカが何やらナーバスになって、マチンガの商売がわからないと言いはじめた」と相談し、他のメンバーは、「たたで飲めるなら、行く」と集まったという。(中略)意見交換がされたが、二万シリング(さらにその場で万札を数枚追加した)の酒に酔っぱらったマチンガは、けんかをはじめた。結局マチンガの敵もよくわからないまま、会議はたんなる飲み会になって終わった。(中略)「もう、余計にわからなくなったじゃない」と不平を言った。するとブクワは「そうなんだ。やっと気づいたか。じつはオレたちもよくわからないんだ。だから心配するな」と言って私の肩を叩いた。 マチンガの多くは親族や同郷の者と取引するよりもそういうつながりのない人間と取引するのを好む。それを踏まえてのメモ。 ・オレたちは親しい人間ほど嫉妬深いと考えている。それはこういうことだ。誰でも最初は遠慮深い態度でやってくる。誰でも最初は片手を出すことからはじめる。しかし片手を出して与えられることに慣れると、つぎは両手を出すようになる。両手を出して与えられることに慣れると、つぎには帽子をひっくり返して差し出す。そしてついに「そんなに与えるものはない」というときになって、約束が違うと怒り出したり、裏切られたとショックを受けたりして、二度と現れなくなるのが親しい人間というものだ。ここで平然とふたたび片手を出すことからやり直すことができるのが、商売仲間だ。 ・都市で生きていくために大事なことは関係をつくることだ。2000シリング貸してくれるひとりの友人ではなくて、ちょっと説得したら200シリングをカンパしてくれるたくさんの仲間を。 マチンガたちが大事にしてるのが「ウジャンジャ」という感覚。俺の解釈では「うまくやる」「切り抜ける」という感じ。ウジャンジャを使いこなせるやつのことを「ムジャンジャ」と言う。それを踏まえてのメモ。長くなる。 ・マラ州の農村で暮らしていたジュリアス(当時14歳)は、経済的な困難を理由に母方のオバを頼ってムワンザ市へと出稼ぎにきた。ジュリアスのオバの息子は、居住区の隣人である古着露店商ニャワヤ(30歳男性)にジュリアスを店番や使い走りとして預かって欲しいと頼んだ。(中略)ところが、ニャワヤはしばらくしてジュリアスが役に立たないことに気づいた。(中略)ジュリアスは数字を書くことができず、簡単な足し算もできなかった。(中略)ジュリアスは客とのコミュニケーションが苦手だった。ジュリアスは客に「えっ、聞こえないわ。いくらなの?」とやや強い調子で服の値段を聞き直されるだけでパニックになり、店番をほうって逃げ出した。(中略)わたしは彼の不運な境遇を聞かされていたので、しばしば、「男の子なのだから、泣いてばかりじゃだめじゃない」などとお節介を焼いた。しかし、そのたびにわたしは、他の露店商から「ほっとけ、ジュリアスはまだポーズを模索している最中だ。お前が彼のポーズを修正してしまったら、ジュリアスのためにならない」「都市はすでに満員だ。自力で生きていく術を見つけられないようなやつは、さっさと田舎に帰ればいいんだ」などと諫められた。ある日、露店商のアブドゥル(31歳男性)は、ボスであるニャワヤの不在中にジュリアスがなんとか自力で販売した服の代金をニャワヤに手渡すのを目撃した。アブドゥルは、ニャワヤが代金を受け取って立ち去ると、ジュリアスを呼び出して次のように言った。「お前って本当にバカだな。いいか、1000シリング以上で販売しろと言われて1500シリングで売れたのなら、ニャワヤには1300シリングでしか売れなかったと言え。それで200シリングは黙ってポケットに入れるんだ。カネが欲しかったら頭を使え」 ジュリアスはアブドゥルに言われた通り実践しようと、ニャワヤにブラウスの値段を実際に販売できた額よりも安く報告した。しかしジュリアスの嘘はあっさりとニャワヤに見破られてしまった。こっぴどく叱られたジュリアスは「アブドゥルが嘘をつけって言うから僕はそのとおりにしたんだ。(中略)大嫌いだ」と泣け叫びながらわたしの露店に駆けこんできた。ところがその日の夕方、ジュリアスに騙されたニャワヤは上機嫌でわたしを飲みに誘い、「なあ、聞いてくれよ、サヤカ。ジュリがやっとムジャンジャになってきたんだぜ」と本当に嬉しそうにジュリアスが売り上げをごまかそうとしたことについて話した。(中略)ニャワヤは「じつはアブドゥルからジュリアスが嘘をつくことを事前に知らされていた」と語り、にやにや笑った。 ・マチンガは、ウジャンジャな戦術を「詐欺」とも区別している。たとえば、バレンタインデーの前には「愛の色」として赤色の衣類の需要が高まり、希少になる。こうした状況を考慮して、「以前から赤色の衣類をこつこつ貯めて放出した」商人はスペシャリストと評価され、「白シャツを赤く染めて販売した」「問題のある赤いブラウスを安く仕入れてシールを貼って販売した」商人はムジャンジャと評価される。しかし、「ブラウスを届けると嘘をつき、計画的に客から前金を集めて逃げた」商人は「詐欺師」だとされる。 ちなみに上のケースでは先見の明のあるスペシャリスト商人よりもウジャンジャで切り抜ける商人の方が尊敬を得られるようである。そこがまた面白い。 ・オレたちには、親友はひとりもいない。親友はやばいんだ。(中略)そうじゃなくて、仲間って感じで認め合うんだ。そうやって、赦しあうことがオレたちのやり方なんだ。そのバランスがわかるようになるってことが、ムジャンジャになったってことさ。 マチンガは、卸売商と口約束の取引をしている。正式に雇用し、雇用されるような関係になることを嫌っている。契約してしまうと、主従の関係が生まれ、関係が固定してしまう。それを嫌がっている。 ・「口約束」だからうまくやっていけるのだ。確かに契約書を交わせば、彼らはわたしから商品を買い続けるかもしれない。でもそれはお互いさまだ。「口約束」なら商品がなくなれば、もうこれで終わりだと言えばすむし、商売がうまくいかないときに値下げはできないと言えば、納得してもらえる。給与を上げろとか、休みをくれなどと要求されないし、決まった給与が払えなくても文句は言われない。 今まで抜き書きしてきた部分だけだと、マチンガのずる賢さと、ドライさみたいなところが目立つかもしれないが、マチンガは、あまり金のない客には、仕入れ値より安い価格で商品を平気で売ってしまったりする。また、自分たちの仕入れ元である卸売商が貧窮していると、ボロい服のタグをインチキに付け替えたりして無理矢理売ってその金を卸売商に回したりもする。 ・「マチンガ」は、そのようなウジャンジャの発動に従うことで、「全体がうまくいっている」と捉えている ・(アルバート・ハーシュマンが提唱したポシビリズムについて)「不確実性・未決定性のなかに可能性を見出し、不確実な世界における人間の主体的活動の方途を模索しようとする」ことであり、「複雑な事態の予見可能性を求め過ぎることが権威主義の温床であり、不確実性を受容していくことが多様性の持続に向け、全体主義的な、あるいは権威主義的な手法に代わりうる政策・戦略を提示」できるとする ・マチンガとともに商売をしていると、わたしはつねにどこまでみずからの行為、感情、生をその場の人間相互のかかわりあいにゆだねることができるのかを試されているような感覚にとらわれた。あってないような値段、住所も本名もよく知らない相手とのたんなる口約束による掛け売り、「ダメでもともと」の頻繁なたかり、明日いなくなるかもしれない仲間、まったくあてにならない警察……。このような不透明な世界で、何を買うにも交渉しなければならないこと。裏切られても次の可能性に賭け、結局また同じことを繰り返すしかないこと。これらは、定価販売に慣れ、契約書に慣れ、義務や権利を主張するのに慣れ、安定した関係を維持していくことを理想としてきたわたしにとっては、とてつもなく面倒に思えることも多かった。しかし一方で、私的な困難の訴えに応じて値段が変わること、担保や契約書がなくても売ってもらえること、自分より経済力のある商人と対等に渡りあえること、仕事や人間関係をいつでもやめたり再開したりできること、マチンガが生き生きと商売をしていること、そこには、経済が人間の相互依存のうちに成立していることを覆い隠し、人間相互のかかわりを客体化・制度化していく過程で、みないふりができるようになった豊かさがあった。 書き写すの疲れた。 マチンガは、得ばかりしたいわけじゃない。警察(マチンガは警察と敵対することもあるし、賄賂を贈ったりすることもある)も含めた全体の流れを”うまく回そう”としている。とはいえ、もちろん善人ではない。とにかくどんな小狡さでもいいから、その場を切り抜ける。そして相手のズルさも認める。裏切られても再度許す。苦境に立てば自分も裏切る。そうやってその場をとにかくしのいで生きる。 スポーツ選手の肩甲骨が”よくまわる”みたいな、柔軟に回転する関節のようなイメージをマチンガに対して持った。 で、この本を読んでいるとすごく肩の荷が軽くなるというか、「人間コツコツ積み重ねればいつかは」とか「あの人はとにかくブレないから良いよな」とか、「人間関係に勝るものなし」みたいな、知らず知らずのうちに背負わされているザ・価値観に縛られて疲弊するぐらいなら、すべて放り出し、場当たり的にやり、みじめさなど気にせず人にガンガンたかり、施されて当然のように気高い顔をして切り抜け、とにかく生きていく方が最高じゃないかと思える。たまたま自分にツキがまわってきたとしても、強者になることもまた放り出し、できる限り関係を固定しない。宙づり状態にしておく。 自分の場合だと、みんなにみじめなやつと思われたくない、一目置かれたい、みたいな気持ちがいつも強くあるのだが、そんなのはウジャンジャな態度ではないのだろう。引き続きセコく生きる。もらえるものはもらう。何かあげることができる時はあげる。 と、そんなことを考えながら鴨川沿いをダラダラ歩き、丸太町の誠光社をのぞき、さらに烏丸方面まで歩いて、ずっと行きたかった店・vouへ。 欲しいものたくさん売ってた。畳をはがして、むき出しの床下をのぞく展示をやっていた。 帰りは阪急電車。天六から歩く。 夕飯は鍋。昼は何も食べてないので食欲あり。 #
by chi-midoro
| 2017-05-13 03:45
| 脱力
今日は食欲がある。
ここ数日でもだいぶ元気な感じがする。 勢いで仕事関係のやり取りなど進める。 昼はやはり生駒軒。 今日は味噌ラーメンにしてみる。 生駒軒に通い始めた頃は味噌ラーメン一辺倒だった。 懐かしい。 しかしやはりタンメンだなと思いながら食べる。 部屋に戻る今夜のバスを予約。 2,000円のバスがポイント使って1,400円ぐらいになった。 今回は新幹線で来た上にまったく仕事もせず浪費ばかりした。 帰りぐらいは最低級のバスにしないと帳尻が合わない。 天気が良いからどこかへ行きたいと思って、 見たい展示があったので表参道へ行く。 しかし、途中でその展示イベントがもう終わっていることを知る。 とにかく表参道で降りて、青山ブックセンターで立ち読み。 入口のところに横尾忠則の版画集が置いてあって、 最近出たらしいのだが、それをパラパラ見る。 超良い。横尾忠則はもう、あまりに横尾忠則過ぎて別にもう俺が本買ってもなと思ってたけど、 とにかく物量が病的にすごいところがやっぱりすごい。 町田で展覧会もしてるらしいので次に上京した時に行こう。 川島小鳥「愛の台南」、青木由香「台湾の「いいもの」を持ち帰る」という本を今度買おうと思った。 台湾行きたい。 1万円あったら買えるだけ本買いたい。 そうして外へ出て、キデイランドでボーイズにお土産を買って駅へ。 水天宮前まで戻る。結局何もない時間を過ごしてしまった。 今日は山形から父の兄の孝さんが来ていて、 18時から「はすみ」でみんなで食事。 父母、妹夫妻と子どもたち。 自分は数時間後に夜行バスに乗るし、飲むのも食べるのも恐る恐る。 大丈夫かと心配される。 妹が「私いろんな患者さん見てきたから分かるけど、お兄ちゃんたぶん死ぬね」と言い、 母が「やめなさい!本人の前で!」と言ったのがちょっと面白かった。 妹には前もそんなことを言われた気がする。 その後、内藤さんも参加。 父のいとこである礼子さんが浅草でやっているスナックに顔を出して行こうと、 父、孝さん、内藤さんと自分の4人でタクシーで行く。 23時過ぎのバスに乗らなきゃならないのでちょっとしかいなかった。 途中、常連さんが斉藤和義の「ずっと好きだった」を歌ったら、 お店のノリのいい女性が二人立って踊り出した。 それをぼーっと見ていたら父が横で「なんだかこの歳になったら、ゆうちゃんのダンスがの方が良いなあ」と言った。 ゆうちゃんとは今日来ていた妹の娘で、今5歳。 スナックの綺麗どころのダンスvs5歳児のダンスという構図が頭に浮かび、味わいを感じた。 タクシーで引き返し、自分はそのまま東京駅まで乗せてもらう。 余裕を持って鍛冶橋に着き、寝酒も買えた。 確か去年のこの時期もそうだったと思うのだが、 連休明けの平日の夜行バスは空いていて、 自分の隣は無人。通路を挟んだ横の人もそうだったし、 2席で1人というラッキー客が結構いるように見えた。 だいぶ気が楽。 しかし、やっぱり時間がとにかく進まないのと、 あと寒かったり熱かったり乾燥していたりのハードな環境に寝ぼけながら対応していくのに疲れる。 #
by chi-midoro
| 2017-05-13 01:19
| 脱力
体が思うように動かない。
寝ては起きてを繰り返して昼。 14時過ぎから映画を見に行こうと思っており、急いで部屋を出る。 有楽町ヒューマントラストシネマで何かやってないかと検索して、 「はじまりへの旅」という映画がタイミングよく見れそうだったのでそれを見る。 ポップコーン買う。300円。 このシネリーブル系の劇場のポップコーン、まずくはないけどだいたい湿気ていて、 なんとなく、200円レベル。 500円でものすごくデカいカップに入ってる劇場もあるのにこれはどうなのか。 ポップコーンへの情熱が感じられないのである。 そう言いつつ毎回食べてるけどなんか腑に落ちない。 それはそうと「はじまりへの旅」は、山奥で暮らしてるヒッピーな親子がいて、 子どもが5人ぐらい、母親は精神を病んで病院にいて、父が絶対的なリーダーとして君臨しているような、 そんな家族の話で、母親が病院で自殺してしまい、その葬式にみんなで行く道中のドタバタを描いた映画。 これが、自分は全然好きじゃなかった。 ヒッピー一家の子どもたちは父親の教育でたくさん本を読んでいて、知識がものすごいあるし、 狩りを教わったりして、運動神経とかサバイバル能力も日夜磨いているのだが とにかく世界の見方が独善的なのである。 母の葬式(母の両親が自分たちを呼ばずにやろうとする)のために父がマイクロバスを運転して都会に行くのだが、 車窓から見える都会の風景を見ながら、資本主義を紋切り型に批判したり、 町に出ると太った人ばかりで「彼らは何!?」と子どもたちが驚いたり、 ザ・都会みたいな描き方がまず薄っぺらくて、権力にはノーを、が信条の父は大手資本のスーパーマーケットに入って、 なんか急に具合悪くなったフリをして家族総出でスーパーの商品を盗んだりするのだが、 それも全然痛快な感じじゃなく、ただただ自分がよければ良いっていうだけにしか感じられない。 めちゃくちゃ本を読んで賢い子どもたちなのに、なぜスーパーで働いている人たちからは奪っていいと思っているのだろうか。 あとこの映画は、全体的にはコメディ映画のノリなんだけど、お笑いシーンがほぼ全部下ネタで、 サービスエリアの駐車場をワイルドだから全裸でうろついてガハハみたいな、 下半身出しときゃいいだろ的なしょうもない笑いのみ。 都会の描き方も紋切り型ならヒッピーの描き方も、自然の描き方も紋切り型なのである。 自然は自分たちに恵みを与えてくれるだけのただただ完全に気持ち良い存在、みたいな都合のいいものとしてしか出てこない。 仏教徒で自分を火葬して欲しいと願っていた母の遺体を、キリスト教式に埋葬した両親のもとから奪い(墓を掘り起こして棺桶ごと運ぶ)、それをバスに乗っけて運んで、めちゃくちゃ綺麗な遺体に子どもたちが寄り添っているシーンがあるのだが、それもひどい。やけに遺体が美しくて、埋葬して何日経ってんだっつう。 それこそ遺体がどんな風に腐っていくかを教えろよ父!と思う。 自分たちの主義、自分たちの教育、というものがあるのはもちろんいいとして、それを共有しない人がいる、という事が一切顧みられていないところがひたすら嫌だった。 色々教えたがる父が唯一子どもたちに教えてないのが、他人に寛容であれということなのだ。 そんな父でも子どもたちにとっては絶対的で、確かにちょっと人間くさい部分もあって、 悪い奴ではないんだろうが、そこが怖い。 って感じでとにかくなんだか悶々としながら映画館を出たら雨。 何も食べてないのに何かを食べる気に全然ならない。 しかし、体の要求とは別に、タイミング的に今日は西新井大師の富士丸を食べようと頭で決めていて、 銀座から日比谷線に乗って西新井へ。 駅から店への道を歩いている時も全然食欲が無く、ふらふらする。 こんな状態で食べても仕方ないと思うが、なかなか来れないので行く。 お店では店長に「どうもー!お久しぶりです」と言われ、照れる。 麺半分で頼むがもちろん多い。ゆで卵2個入ってるし。 4回すすっただけで完全に満足。 まったく食べ切れない。味はめちゃくちゃ美味しいのだが体がそれ以上受け付けない。 無理矢理3分の2ぐらい食べて去る。 「遠いところすみませんー!」と店長。今度また元気な時に。 目まいしつつ駅に戻りとにかく具合が落ち着くまでゆっくりする。 駅前の本屋で立ち読みしたりトイレに何度か行ったりしたら少し楽になってきた。 再び日比谷線に乗って秋葉原へ。 21時から2時間、スタジオでチミドロの練習をすることになっていた。 ジュンヤさん、ミヤマッチが来て、花井さんの機材を借りてフレーズを作って、 最近自分の頭の中になんとなくあった曲をやってみようと思っていたが、 花井さんが仕事で来れず。 スタジオにあったコルグのシンセを借りてみるも、 どうやってフレーズを打ち込んだらいいか全然わからない。 練習の体をなさないまま時間が過ぎてしまいすごく悔しかった。 よく考えたら部屋にカオシレーターがあって、それを使えばうまくできたのに、 帰ってから気づいて後の祭り。愚かだった。 結局3人で少しだけいつもやってる曲をやってみたり、あとは与太話をして終わり。 終了後、ジュンヤさんは急いで帰宅。 ミヤマッチと二人で夜道を歩き、途中でカエさんから浅草橋で飲もうぜと誘いがあったので、 そのままミヤマッチと浅草橋へ向かい川沿いで3人で飲む。 結局、家の近所にある中華料理屋が一番うまいという話など。 1時半ごろ帰宅。
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by chi-midoro
| 2017-05-11 10:35
| 脱力
昨日そんなに深酒したわけでもないのに体調がよくない。
目が覚めて起きあがってみては気持ち悪くて横になる。 テンションのあがるラーメンでも食べに行こうかと、 昨夜はそんなことを考えていたのだが、全然無理。 ラーメンの画像を検索して見ても食欲涌かないどころか吐き気がしてまた眠る。 何もかももうどうでもよくなってテレビのワイドショー流しながらただ時間を過ごす。 大阪に帰りたい。 母から連絡来て昼ご飯はどうするかというので、 そのタイミングで起きて結局今日も生駒軒。 タンメンなら食べられそうな気がして。 実際食べれたのだが目まいがひどく、気を張ってないと横に倒れてしまいそうな気がして怖かった。 部屋に戻り、かろうじて洗濯物だけ干してまた寝る。 夕方になってだいぶ落ち着く。 19時過ぎに家を出て恵比寿へ。 前に勤めていた会社の同僚と久々に飲む約束。 仕事が遅くなるというのでアトレの本屋で立ち読みして待つ。 結局21時前ぐらいに合流し、バチカの前の角打ちでホッピーとワイン。 つまみはクラッカーとサラミで、どこかでちゃんとした食事でもと思ってるうちに終電の時間となった。 自分が辞めたあとの会社のこととか少し聞いた。 なんだか全然うまくしゃべれず、寂しい気持ちになっただけだった。 日比谷線で人形町に戻り「いなせ」でホウレン草ラーメン食べる。 お店の人に「そのジャンパーどこかで売ってるの?」と聞かれる。 「いや、自分で、自分で作ったんです」 「え!自分で?そうなの?自分で作ったの?」 「はは。ごちそうさまでした」 背中に「仕事したくない」って書いてあるジャンパー。 気持ちがどこまでも落ち込み何をする気にもなれず、 電気を消して寝転んでいたらいつの間にか眠っていた。
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by chi-midoro
| 2017-05-10 06:13
| 脱力
何度も何度も変な夢を見て目が覚めてはまた眠って、2時間おきぐらいにそれを繰り返して昼。 いつもの生駒軒のタンメンを食べに行く。美味しい。 日中することなく、梅田のシネリーブルで作った会員券が使える映画館が有楽町にあって、 そこでちょうど行けそうな時間帯で上映してる「午後8時の訪問者」という映画があったので、 それを見に行くことにする。千円で見れた。 主人公は女医。町医者って感じで、地域の老人とか子どもとかに慕われて、 「痛みで眠れない」とか電話がかかってきては家々を訪ねたりしているような。 その女医の病院に診察時間を過ぎた夜にインターホンが鳴って、 応答せずに済ませたら翌日刑事がたずねてきてそのインターホンを鳴らした主がなんかの事件に巻き込まれて死んでしまったことを知る。 防犯カメラに映っていたその死んでしまった黒人女性のことが女医は忘れられず、 あの時ドアを開けてれば助かったのに…と後悔し続けて、警察への協力の度を越えて自分でその事件について調べることにして、 そんなんでうろちょろ聞き回ってるうちに危ない目にあったり、出世のチャンスを逃したりする。 映画の中で、エンドロールも含めてたぶん一切音楽が流れない静かな映画で、 主人公の女医はずっと後悔していて気が晴れる瞬間がない。 いつ事件に関する情報が得られるかわからないから病院に寝泊まりするようになって、 超狭いベッドで寝て、全然美味そうじゃないご飯を食って、 とにかく楽しそうな瞬間が全然ない。 窓を開けてタバコを吸うシーンだけ、少し見ていて気持ちが軽くなる。 全編通じて、何かをしてると必ず電話が鳴ったり、インターホンが鳴ったり、 とにかく何か邪魔が入る。そしてそこで入る邪魔はいつもなんかすっきりしない、 言葉が足りないコミュニケーションという感じで、 そのすんなりいかなさが基調になっているように思った。 最後は主人公の思いが報われるんだけど、それでパーッと幸せになるわけでももちろんなく、 しかしその気の晴れなさが今思うとなんか良い。 取り立てて良いことのない日々に、少しの善意とか、怒りとか悲しみだけがぼんやり灯っているような。 映画の前後に、三省堂で「新潮」に保坂和志が書き下ろした文章を立ち読み。 だーっとななめ読みして済ませてしまったが、保坂和志があんまりこれまで言及してないはずの赤瀬川原平のこと、それと唐突にサチモスのことなど出てきて面白い。 一度家に帰り、19時から人形町で飲む。 笹新行って鳥波多行って解散。 コンビニでブタメン買って食べて寝る。
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by chi-midoro
| 2017-05-10 06:00
| 脱力
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